
日本人が、ミグという航空機の名前を聞いて
真っ先に思い浮かべる、飛行機は、
MIG-25(NATOコードネーム:フォックスバット (Foxbat))
ではないだろうか?
名前はさておき、今から37年前の1976年(昭和51年)9月6日に
函館空港に強行着陸して現役将校であるヴィクトル・ベレンコ中尉が
亡命事件を引き起こした事件の主人公と言えば、思い出す方も
多いかもしれない
何せ、米ソ冷戦のさなかの1976年
ウラジオストクの北東190キロ、チェグエフカにある
513空軍基地を離陸した、当時のソビエト連邦(現ロシア)の現役戦闘機と
パイロットが、急遽低空飛行で地上レーダーサイト及び千歳基地の
F-4EJのスクランブルをかいくぐり、予告もなしにやってきたのだから
我国は、お祭騒ぎになり、函館空港付近は北海道警察によって完全封鎖、
航空自衛隊北部方面隊は、空港管轄の運輸省に「お伺い」を立てたところ
「背広で来い」と言われ。調査団が向かえば北海道警察から「支援は必要なし」と
通せんぼを食らう、これは、陸上自衛隊調査団も同様であった。
この為、強行着陸初日は北海道警察がMIG-25を独占し、一切の情報収集や
警護活動から自衛隊は締め出され・・・MIG-25は事故車両の如く北海道警察に扱われた。
まさに、平和ボケの一端を垣間見た出来事だ・・・・
さらに、同日に開かれた政府の対策会でも、防衛庁(当時)はまた、
締め出されMIG-25には「触れずに返還」何て事を言い出した為・・・
防衛庁(当時)は各方面の説得に奔走・・・
ようやく「調査後返還」と言うことになったのだが
所轄が移ったら移った事で、今度は、各所から横槍が入り
この様な事があったらしい・・・・
■北海道警察
「邪魔だからどっか持っていけ」
■函館地方検察庁
「出国管理令違反の証拠物件」扱いとして
MIG-25の周りにプレハブの壁を構築。
しかも、レンタル品の為「防衛庁は月100万を業者に払えと」要求
■運輸省(函館空港管理事務所)
「MIG-25の駐機料は1日10000円、芝生なら2000円」
■大蔵省(税関)
「外国機が着陸して帰っていくなら免税、分解返還するなら輸出税がかかり輸入税を払え」
■通産省
「分解返還は武器輸出になり武器輸出三原則に引っかかるのではないか?」
■外務省
「早く返還せよ」の一点張り
まさに、平和ボケのオンパレードである。
こんな中、当時すでに飛行機好きになっていた、当方も
不謹慎ながら、ニュースの映像にワクワクしてしまった
思い出があるのだが・・・・
さて、事件の張本人のベレンコ中尉は後にアメリカに亡命
MIG-25は、ソ連政府から機体の即時変換を求められるが、
日本政府と米国は慣例上認められているとされる機体検査と称して
MIG-25を分解して「函館の皆さんさよなら大変ご迷惑をかけました」と言うシートに包まれ
米空軍のC-5Aギャラクシー大型輸送機で茨城県の百里基地に輸送され、
綿密な検査を受けた後、11月15日にソ連に返還され事件は終わる。
この時に行なわれた米国との解体調査で、
それまで謎であったMIG-25と言う航空機の
詳細な部分が判明
①素材
機体素材は、チタンではなくニッケルが多用されたステンレス鋼板
②エンジン
マッハ3は出せる戦闘機であると推測されていたエンジンはターボファンまたは
ターボラムジェットと推測されていたが、高速飛行すると発生するラム圧縮効果
を見込んだ単純なエンジン設計
③電子機器類
ハイテク技術が詰め込まれたものと推測されていたが、真空管が使用されていた
等など・・・・
結果として謎のベールがことごとく、剥がされる事で
MIG-25が時代遅れの機体と言う事が判明しソビエト連邦は
次世代の航空機を開発せざるを得なくなってしまう事となる。
MIG-25 スペック
翼面積 : 61.40 m²
翼面荷重量 : 598 kg/m²
空虚重量 : 20,000 kg
通常重量 : 36,720 kg
最大離陸重量 : 41,000 kg
発動機 : ソユーズ・ツマンスキー R-15BD-300 2 基
推力 : 10,210 kg
推力重量比 : 0.41
速度
速度制限 : マッハ 2.83 (3,090 km/h)
最大速度 : マッハ 3.2 (3,490 km/h)
航続距離 : 1,730 km
上昇率 : 50 m/s
実用上昇限度 : 20,700 m
最大到達高度記録 : 37,600 m
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Posted at
2013/09/07 01:25:06