
本日12月17日は、「飛行機の日」
1903年12月17日に
アメリカ・ノースカロライナ州のキティホークおいて
兄ウィルバー・ライト、弟オーヴィル・ライトの二人が
人類初の
動力飛行に成功した偉業あります。
きょうは「飛行機の日」でした | 放送だより | すっぴん!ブログ
よく間違えられますが・・・
空を初めて飛んだのはライト兄弟ではありません。
この日を・・・正確に言えば・・・有人動力飛行が、世界で初めて成功した日
「空気より重い動力を使用した空飛ぶ機械、飛行機という乗り物で、
人間が搭乗し継続的に飛行し、機体を操縦することに成功した。」
ということです。
実は、この人類初の有人動力飛行・・・・
ライト兄弟に、この偉大な称号が与えられるまでには
様々な困難がありました。
いつの世も、新商品に関しての特許には
お金が絡むことが多く
自在に操作し、大空を駆け巡る飛行技術に関する特許取得は、
多くの発明家や企業家が注目していたものだけに
この飛行が争いや妬みの対象になったことは言うまでもありません。
特に、ライト兄弟の偉業を否定し続けたのが
Charles Doolittle Walcott(チャールズ・ウォルコット)と
Glenn Hammond Curtiss (グレン・カーチス)のお二方
チャールズ・ウォルコットは、スミソニアン協会の会長
グレン・カーチスは、カーチス・エアロプレーン&モーター社の創業者
何故に、ライト兄弟の初飛行がこの二人によって否定され続けたのか?
実は、スミソニアン協会の前会長であるサミュエル・ラングレーが航空機開発の先駆者でありながら、1907年に「エアロドローム号」で行った飛行実験に失敗世論から激しい非難を受け、スミソニアン協会にとって大きな屈辱となり何としても名誉挽回したかったチャールズ・ウォルコットと特許を巡って争っていたグレン・カーチスの利害が一致し名誉と特許争いのためにタッグを組んだというのが
否定の理由です。
実際に、グレン・カーチスは1903年に失敗したサミュエル・ラングレー製作の飛行機
「エアロドローム」を改造し、6月2日に飛行試験を成功させ、ライト兄弟たちの初飛行の年の段階にまで形状を戻して「有人飛行可能な世界初の飛行機」としてスミソニアン協会の博物館に展示
この事は、ライト兄弟との特許紛争を有利に展開させ
またラングレーの名誉を回復するために画策されたものでした。
当然ライト兄弟は抗議を行いますが、協会側は徹底的に無視を決め込みます。
また、フランスで行われた、世界最初の飛行大会で、グレン・カーチスがめざましい成績を示したことに対して、ライト兄弟は入賞すら出来なかったことで、一般にも世界初飛行に成功したのは
ラングレーだと思い込む者が増えたそうです
その後も協会に無私され続けたライト・フライヤー号は
マサチューセッツ工科大学の倉庫に保管された後
イギリス・ロンドンの科学博物館の希望を受け、海を渡ります。
しかし、イギリスを訪れたアメリカ人によりライト・フライヤー号が
何故イギリスの地にこの航空機があるのかと疑問を呈し世論の話題となり
スミソニアン協会もいつまでも無視するわけにはいかなくなってきました。
ウォルコットの死後、1928年に会長職を継いでいたチャールズ・アボットが
弟オーヴィルと面談しライトフライヤー号をアメリカに戻すよう要請
1942年ついにスミソニアン協会はライト兄弟の偉業を認め、兄弟に陳謝する
声明を発表。
初飛行成功からちょうど45年経った1948年12月17日
ワシントン国立博物館に展示されることとなり
ライト兄弟による人類初の有人動力飛行の歴史は
我々の知る、歴史に修正されることとなります。
ちょっと残念な「飛行機の日」
の裏話ですね・・・・
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Posted at
2014/12/18 00:42:13