
2011年3月11日
忘れる事の出来ない
東日本大震災の発生した日
この震災で、東北沿岸は
甚大な津波被害に見舞われ
その苦しみは、未だ続いている。
遡る事400年・・・
今日は、伊達政宗が藩政を始めて間もなく
見廻れた「慶長三陸地震津波」が発生した日です。
過去の歴史を見ると東北地方を襲った大津波は・・・
貞観津波(869年)、慶長三陸地震津波(1611年)、明治三陸地震津波(1896年)、
昭和三陸地震津波(1933年)の四つがありますが
慶長三陸地震に関する歴史記録は乏しく
1611年12月2日(慶長16年10月28日)、巳刻過ぎ(10 -11時頃)大地震、
昼八ツ時(午後2時頃)に大津波(現地時間)と記録されており
『武藤六上衛門所蔵古大書』には
「大地震三度仕、其次に大波出来候而、山田浦は房ヶ沢まで打参候由、二 の波は寺沢に打参り候、三の波は山田川橋の上まで打参り候由に御座候、 折笠は礼堂まで打参り候…」
とあり、3度大きく揺れたとされ・・・
『海蔵寺縁起』では
「大海嘯に逢ひて、其蓋藍の全部を流失したると言ふ」
大津波が、発生した事が記載されています。
この時の規模は、M8.1
仙台領1,783。南部・津軽領人馬3,000と・・・
当時の人口からすれば、大規模な自然災害であった事が伺えます。
この時、伊達政宗は2人の家臣を漁村に派遣し
11月晦日、徳川家康に初鱈を献上、津波について言葉を交わしています。
『駿府記』
「…政宗領所、海涯の人屋、波濤大いに漲り来り、悉く流失、溺死者五千人、
世にこれを津波と曰うと云々…」
「…時に海面滔天、大浪山の如く来る。肝を消失し魂を失するのところ、こ の舟彼の波上に浮びて沈まず。しかる後、波の平らかなるところに至る。こ の時心を静め眼を開きてこれを見るに、彼の漁人住するところの郷辺、山 上の松の傍なり、これ所謂千貫の松なり。すなわち舟を彼の松に撃ぐ。波濤退去 の後、舟松の梢に在り。…政宗これを語る由、後藤少三郎御前に於てこれを言上す。」
慶長三陸地震津波に関して
先人の記録が、なぜあまり知られてこなかったのでしょうか?
東北が中央からあまりにも離れていたからかも知れませんが・・・
■「慶長三陸地震津波と東日本大震災の類似点
・朝から3度の大きな振動。 東北から江戸にかけて、
翌朝まで震動が続く。
(東日本大震災は14時46分から1時間以内に
震度5以上の地震が3度発生)
・三陸沿岸、仙台平野、福島県沿岸の広範囲な津波浸 等・・・
400年前の慶長奥州地震津波に関して古文書は
さまざまな事実を伝えてくれます。
近年は、改めて慶長三陸地震津波に関しての研究も
始められているようですが、各地で先人たちが残してくれた
記録を紐解く事は、今後、起こりうるであろう、
自然災害について様々な事を教えてくれるはずです。
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東日本大震災 | 日記
Posted at
2015/12/02 23:53:56