
2016年5月16日
草創期から日本のモータースポーツの
発展と当時のカルチャーに大きく貢献された
式場壮吉氏が亡くなられた。
御年77歳・・・
訃報:日本のモータースポーツ草創期に活躍した
式場壮吉さん亡くなる
日本での本格的な自動車レースのはじまりとされる第1回、第2回日本グランプリの優勝者であり、レジェンドドライバーの式場壮吉さんが亡くなったことがわかった。77歳だった。
式場さんは、第1回日本グランプリC5クラスではトヨペット・コロナで、第2回日本グランプリGT2クラスではポルシェ・カレラ904で優勝。同レースでは生沢徹さんがドライブするプリンス・スカイライン2000GTとの戦いは伝説として語り継がれている。

レーシングドライバー引退後はシキバエンタープライズを設立し、「レーシングメイト」ブランドで自動車のドレスアップ市場を開拓した。また自動車雑誌「カーマガジン」の編集にも携わり、草創期の日本モータースポーツの牽引役ともなった。
告別式は22日(日)に都内で営まれる。ここに謹んでお知らせするとともに、哀悼の意を表します。
2016/05/19/オートスポーツ配信
精神病理学者の式場隆三郎の甥にあたり、
千葉県市川市の資産家の家に生まれた式場壮吉氏は、学生の頃より同郷の後輩であった
浮谷東次郎、生沢徹、本田博俊、杉江博愛(後の徳大寺有恒)、福澤幸雄など
日本のモータースポーツ草創期を支えた名ドライバー達と親交があり
大学を卒業後は、出版社に勤務する傍ら、トヨタとワークスドライバー契約を結び
1963年の第1回日本グランプリ(Japanese Grand Prix)でレースデビュー
1965年の日本グランプルが中止を契機にレーサーを引退
石津謙介氏のVAN Jacket と並び、
1960年代から70年代にかけての
若者の憧れのファッションアイテム
自動車関連アクセサリーを製造・販売する四葉のクローバーがトレードマークの
レーシングメイト (RACING MATE) を経営し、レース活動を裏方からサポートを始めるます。
この時期に、式場壮吉氏が責任編集を行っていた自動車雑誌が、
『カーマガジン(CAR MAGAZINE)』(ベースボール・マガジン社刊)
当方も何冊か所有しておりますが、アマチュアのジャズマンとして「キャンティ」や
ホテルオークラなどに出入して、多くの文化人との交流があった式場氏ならではの
感性が発揮された素晴らしい内容の雑誌で・・・
巻頭に見開きカラー2色で連載されていた
クルマとファッションについて石津祐介氏の文章と
野原三輝氏の、お洒落なイラストで表現したコーナー
”Sketch Book”や
式場壮吉氏、杉江博愛(徳大寺有恒)氏、藤島泰輔氏のレポートによる
毎月の自動車情報、海外レースの紹介
VAN Jacket とRACING MATEの共同編集による
ファッションページや広告にも胸が躍ります。
クルマが最も輝き、人々の憧れの対象だった、幸福な時代に一瞬輝いた
この時期の『カーマガジン(CAR MAGAZINE)』を
時間をみて1冊ずつ読み進めているのですが、
読み返す度に、新たな発見があり勉強になりますね。
皆様も機会がございましたら、ご一読頂きたい自動車雑誌です。
しかし乍ら、1960年代末にレーシングメイトは倒産、
カーマガジンも休刊となり、その後は父が経営していた式場病院の跡を継いで
理事長の職に就いた式場氏ですが、自動車文化の一翼を残した功績は大きく
現行の「カーマガジン」は、このオリジナルに敬意を表して
ベースボール・マガジン社より名称の使用許可を得て発行されています。
故人のご冥福を心よりお祈りいたします。
と・・・言う事で本日は、奥様の欧陽菲菲さんとザ・ベンチャーズの競演で
『雨の御堂筋』を・・・・
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雑感 | クルマ
Posted at
2016/05/25 20:31:04