
2017年大河ドラマ
「おんな城主 直虎」
1月8日にスタートしておりますが
セリフも殆ど無いのに
圧倒的な存在感だったのが
春風亭昇太さんが演じる
駿河・遠江・三河の守護大名 今川義元
これまでも、顔の表情のみでの演技もあいまって、
不気味な怪演が話題となっており
昨夜はいよいよ桶狭間と思っていたら・・・
ほぼ戦場のシーンは
カット・・・ですか・・・
しかも・・・最期は、まさかの“ナレ死”
これでは・・・太守さまは浮かばれまい・・・
という事で・・・本日は、少しばかり
今川義元について・・・というお話です。
皆さんが、今川義元に対するイメージは、
織田信長に桶狭間の合戦で討ち取られた事もあり
お公家様の様な軟弱武将では無いでしょうか?
しかしながら「海道一の弓取り」と呼ばれ、
駿河・遠江・三河3カ国併せても100万石に足らない石高を
東海道を使った物流を有効活用して商品流通経済を掌握することで
内政面を充実させるという領国経営に長けていた人物でなければ
関東の後北条氏や甲州の武田氏と並ぶ大勢力を
保持する事は出来ません。
更に、駿河国及び遠江国の守護大名であった今川氏は、
本姓は源氏、家系は、清和源氏のひとつ河内源氏の流れを汲む足利氏御一家
足利将軍家の分枝の吉良家(忠臣蔵で有名な)の分家に当たります。
将軍に何かがあって将軍家が絶えてしまうような事があった時に、
その将軍職を引き継ぐ権利を持っていた名家中の名家で別格の地位でした。
今川義元は、4歳で仏門に出され京都での生活を経験していることから
朝廷や幕府との繋がりも深く、都との外交にも長けていました。
桶狭間の戦いの時に、馬ではなく輿に乗っている事が
軟弱なイメージとされますが、この事例は、上洛の際に
足利将軍家から塗輿に乗ってよいという特別許可が与えられていたからで
決して馬に乗れなかったわけではない様です。
また、軍事力も非常に整備されており100万石未満でありながら
2万5000の大軍を動員できたのが寄親寄子(よりおやよりこ)制という制度で
寄親は国人領主や国衆、寄子は土豪や地侍で普段は農業に従事し
戦となれば戦地に今川家の家臣団として赴くことになる
効率的なシステムになっていました。
また、強大な隣国とは婚姻関係で同盟関係を強化「甲相駿三国同盟」を結び
家督を氏真に家督を譲り、後じんの憂いを無くしての
尾張へ侵攻上洛だったわけです。
常識から考えるとほぼ勝負は見えていた戦いが
織田信長の戦略により世紀の大波乱が起き
東海一の弓取りと言われた今川義元は、
桶狭間で命を落とすこととなります。享年42歳
尾張の田舎大名織田信長を権威で圧倒するため、
輿に乗って出陣するという少しのスキが仇になってしまったのかも知れません。
しかし・・・今川家は義元の死によって滅んだわけではありません。
その辺のところは・・・
又、機会があれば・・・・
書くかも知れません・・・
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Posted at
2017/03/06 23:38:37