
本日は・・・
👈手持ちの蔵書から
光人社 /玉手 栄治 著/2002/06発行
『陸軍カ号観測機―幻のオートジャイロ開発物語 』
という本です。
航空機の主流からはずれた
奇しき運命に彩られた
日本初の回転翼航空機
「萱場カ号観測機」について
詳細に記載されている書籍です。
「萱場カ号観測機」と聞いて・・・ピン!とくる方は
少数派だと思いますが・・・
映画「『007は二度死ぬ」や・・・
「ルパン三世 カリオストロの城」に登場した
ヘリコプターの様な、空飛ぶ乗り物
「オートジャイロ」の国産化に纏わる
事柄が詳しく解説されています。
「オートジャイロ」は、ジャイロコプター、あるいは
ジャイロプレーンとも呼ばれる航空機の一種で
見た目はヘリコプターにも似ていますが
ヘリコプターは、動力によってローターを直接回転させて
飛行しますが、オートジャイロの場合上部にある
回転翼(ローター)は駆動させず
飛行時には、機体の前などについているプロペラなどで飛行を行います。
飛行に必要な揚力は上部にある回転翼によって生み出し、
前進するための動力はプロペラが行う仕組み
なので・・・ヘリコプターのように垂直離陸はできませんが
プロペラとの併用で短い距離での離着陸が可能です。
ヘリコプターが、まだ存在しなかった時代
この、オートジャイロは、様々な可能性を秘めた航空機として注目され
各国で研究され使用されました。
日本もこの潮流に乗り遅れまいと、1932年(昭和7年)海軍での研究素材と朝日新聞社用が
1933年(昭和8年)と1939年(昭和14年)に陸軍が購入しましたが
度重なる事故で機体は破損してしまいます。
しかし・・・時代は第二次世界大戦前夜・・・陸軍は
短距離での離陸性に着目し気球の替わりとなる
弾着観測機として、国産のオートジャイロの開発を思案
航空本部から破損したオートジャイロを譲り受け、「萱場製作所」へ修理依頼します。
「萱場製作所」は、主に航空機用油圧緩衝脚(オレオ)や、
航空母艦のカタパルトなどを製作していた会社ですが
創業者である、萱場 四郎(資郎)氏は、元々研究畑の方で
修理を依頼された「ケレット・オートジャイロ」を徹底的に研究し
これを独自の国産技術として昇華させるべく、
「萱場式オートジャイロ」の開発にとりかかり
1941年(昭和16年)「萱場カ号」と呼ぶ独自のオートジャイロを開発5月26日
玉川飛行場にて初飛行させています。
カヤバの航空機 Chaosな碧空日記/ウェブリブログ
試験結果は良好で、1942年(昭和17年)「カ号一型観測機(カ-1)」と名付けられて
陸軍に正式採用1943年(昭和18年)始めに国産初の初号機が完成します。
1942年12月には「萱場製作所」の仙台製造所において実用機の生産が開始され
1943年には60機、1944年(昭和19年)に毎月20機の量産が行われました。
これらの多くは「カ号観測機」として実践投入され、陸軍の訓練における弾着観測や、
海軍の対潜哨戒にも充てられました。機体の生産は、「萱場製作所仙台工場」で行われ、
エンジンは「神戸製鋼所大垣工場」にて行われましたが、戦争が進むにつれて物資が枯渇し
エンジンやプロペラなど重要部品の供給の遅れから、生産は遅々として進まず
終戦迄の生産機数は、98機しか納入されに過ぎませんでした。
実業家であり研究者でもあった、
萱場 四郎(資郎)氏はその間もジェット機時代の到来を予測し
無尾翼ジェット機の試作に関心を寄せ、ジェット機研究を続け
昭和18年頃には、ラムジェット戦闘機「かつをどリ」を構想
戦後も、「萱場工業」と社名は変わりましたが
昭和27年3月から「萱場ヘリプレーン」の設計に着手
在日アメリカ人から譲り受けたセスナ170Bの胴体(4座席)をそのまま使い
ローター・パイロンを取りつけ
3枚ブレードのローターの先端に
小型ラム・ジェットを装着して回転させる仕組みとした航空機
「ヘリプレーン1型」を試作しています。
「萱場工業製」のラムジェットエンジンは
国立科学博物館に所蔵、展示されています。
この・・・ユニークな航空機を製作した「萱場製作所」
実は・・・車好きの方ならご存知
自動車部品•鉄道車両部品•建設機械部品•航空機部品など
各種油圧システム製品を製造する
世界的メーカー「KYB株式会社」なのです。
会社に歴史ありですね。
蛇足ですが・・・こちらは、以前作った、ファインモールドの
「萱場カ号観測機」 スケール1/72 です。
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Posted at
2017/05/27 00:09:58