
4月22日は・・・「アースデー」
一人ひとりが地球の環境について
考える日とされている・・・「アースデー(地球の日)」/
「国際母なる地球デー(International Mother Earth Day)」です。
多くの人々が環境に関心を持ち始めたのは
1960年代とされていますが・・・
1968年に月の周回軌道に入ったアポロ8号の
宇宙飛行士が月から地球を撮影し、人類が初めて地球を見て以降、
全世界で環境意識が高まったとされています。
そして・・・1970年のこの日、
アメリカの上院議員であったゲイロード・ネルソン氏が環境問題についての
討論集会開催を呼びかけたことで、「アースデイ」が誕生しました。
ところで・・・昨今・・・
メディアなどで「カーボンニュートラル」という言葉を
見聞きする機会が増えています。地球上の炭素(カーボン)の総量に
変動をきたさない、CO2の排出と吸収がプラスマイナスゼロになるような
エネルギー利用のあり方やシステムの社会実装を指す概念の「カーボンニュートラル」
CO2排出を減らす事だろうとは・・・なんとなく想像がつきますよね~
この一環として・・・日本でも「脱ガソリン車」に向けた動きが見られ
「日本でも2030年代、ガソリン車やディーゼル車の新車販売が禁止になる」
という政府が掲げる電動化戦略が報道され。これを追うように東京都からは
2030年までに都内で販売される新車を電動車に切り替える方針が打ち出されています。
さて・・・1960年代後半から欧州並びに米国において
自動車の激しいパワー競争が繰り広げられ同時に安全性や大気汚染について
問われるようになり・・・第四次中東戦争を引き金に発生した
オイルショックにより自動車は燃費も問題視されるようになりました。
こうした状況の下、最大の自動車マーケットである米国で安全基準と排ガスに
対する新しい法律(大気浄化法【通称:マスキー法)が施行され、
世界の自動車産業は・・・1970年代に入り大きく方向転換をする事になりました。
この・・・1970年から始まった厳しい排ガス規制をクリアした
日本車の快進撃が、北米で始まり大柄なクルマを好む米国人といえども
燃費のよいコンパクトカーに注目が集まり始め、当初激しく反発していた
“ビッグスリー”(ゼネラルモーターズ、フォード・モーター、クライスラー)も
小型車の開発を余儀なくされ、フォード・モーターが、
1970年9月に「日本車キラー」として市場に送り出した車が・・・
新型サブコンパクトカー「Pinto (ピント)」でした。
同社のボトム・レンジに位置する「Pinto (ピント)」
ボディタイプは当初は2ドアセダンのみの設定で、スタイリングは
ファストバックの流麗なフォルムが特徴で低廉な価格設定により
販売台数の面では成功を収めたものの・・・
構造上の欠陥に伴う事故が発生しフォード・モーターは経営面で、
大きなダメージを受けることになり・・・
史上最悪のクルマとしても記憶されることになります。。。
フォード ピント事件
「ピント事件」としても知られる自動車史上有名な事件で
当時の一般的な開発期間(約43か月間)よりも短い開発期間(約25か月)で
開発が行われたフォード ピント
日本車などコンパクトで安いクルマへの対抗モデルであった為
コスト・重量低減が目標が厳しく管理された結果、
リアバンパー周辺の強度不足や、ガソリンタンクがリアバンパーに近い
レイアウトなどが重なり、追突事故を起こすと炎上する危険性を
持っていた事が開発時より知られていたにも関わらず。
1972年に、高速道路で突然エンストして停車していたところ、
約50km/hの速度で走ってきた後続車に追突されて炎上し・・・
運転者は死亡、同乗者も重度の火傷を負う事故が発生した際に
フォード・モータースは・・・
車両の改修費用と事故が発生した際に被害者に支払う賠償金を天秤に掛け、
賠償金を支払った方が安く済むから対策はしないという経営判断を優先し事で
人命よりも企業の利益を追求したと世間からの批判を浴び、この事件により
フォード・モータースは・・・企業イメージを大きく失墜
ピントも・・・一代限りで生産が終了することになりました。
では・・・そんな・・・
フォード ピント 1979年の国内カタログを見てみましょう
アメリカ車としては小型軽量なボディ
ボディタイプは当初は2ドアセダンのみの設定で
全長4,140mm×全幅1,763mm×全高1,270mm、ホイールベース2,388mmと
アメリカ車としてはコンパクトにまとめられ
車両重量も初期型で914~937kgと軽量に抑えられていました。
駆動方式はコンベンショナルなFRを採用、
エンジンは当初1.6L直4OHV(最高出力76ps)を標準とし
オプションで2L直4SOHC(最高出力96ps)が用意されました。
トランスミッションは、4速MTと3速トルコン式ATで
ブレーキは4輪ドラム式で、ステアリング形式はラック&ピニオン式を
採用しています。
1971年2月に、セダンをベースにテールゲートを追加し、折り畳み式リアシーを
標準装備した3ドアハッチバックモデル「ランナバウト」を追加
1972年モデルからは、排出ガス規制への対応により
エンジンの最高出力が1.6Lは55psに、2Lは87psに低下しますが
1972年2月、全長を4,390mmに延長し、フロントにディスクブレーキを
装備した3ドアステーションワゴンを追加
1974年モデルからは・・・衝撃吸収バンパーが採用されました。
エンンジンも従来の1.6L/2Lから2.3L直4SOHC(最高出力91ps)に変更され
1975年モデルからは、2.8L V6OHVの「ケルン・エンジン」(最高出力98ps)を追加
1977年モデルからは・・・・
ステーションワゴンの派生モデルとしてリアピラーに
丸窓が備わる「クルージングワゴン」がラインナップに加えられました。
そして・・・1979年モデルにおいて
最初で最後のフェイスリフトが実施され、ヘッドランプが丸型2灯式から
角型2灯式に変更されるとともに、リアコンビネーションランプの大型化が
実施されますが・・・
フォード ピント事件で、フォード・モータースが行った
対応で、企業イメージを著しく低下ており・・・
当然、悪名高きピントに後継モデルのリリースはなく
1980年をもって全車生産終了となりました。
現在も・・・「カーボンニュートラル」という名のもとに
乗用車のCO2排出量の削減が求められ次世代自動車(HEV[ハイブリッド車]、
EV[電気自動車]、PHEV[プラグインハイブリッド車]、
FCEV[燃料電池車]、CD[クリーンディーゼル車]が、政府による
普及促進策によって進められていますが・・・
2050年に向けた過渡期において足下のCO2排出量削減を進め大気中に
蓄積されるCO2量を出来るだけ少なくしていくことは重要ですが・・・・
早急な開発競争の激化で、安全が等閑にされた車の市販は、
決してあってはならないと思います。
という事で・・・今宵の奈保子さん動画は
「アースデイ」にちなんで・・・
1986年9月20日 ユニセフ40周年国際平和年協賛の イベントとして
日本武道館において 開催されたチャリティー・イベント
「EARTH ARK Little Communication In BUDOHKAN」 で歌唱された
「刹那の夏」
「デビュー」「涙のハリウッド」
「Through The Window」「 ジェラス・トレイン」
「ハーフムーン・セレナーデ」を・・・