
レシプロ戦闘機の最高傑作との呼び声も高い
P-51ムスタングの初飛行は1940年10月26日
このP-51は第二次大戦中の最高傑作と呼ばれていますが、
開発の発端は、1940年当時絶望的な戦闘機不足に悩むイギリスが
アメリカに戦闘機輸出を打診する調査団を派遣した事がきっかけ。
しかし当のアメリカ軍もも迫り来る対日戦を前に
主要戦闘機メーカーには輸出に回すだけの余剰生産能力無く、
そこで白羽の矢が立ったのが戦闘機を作るには新興メーカーであった
ノースアメリカン社だったのです
ようは、自分のところが手一杯だった為に急遽選ばれた訳ですね・・・・
しかしながら、幸か不幸か、新興メーカーなので
若いエンジニア達のアイデアをふんだんに盛り込んで開発が進められ
102 日の超過密スケジュールで設計された機体にも関わらず
成果は上々のテスト結果が出されました
ただし初期に取り付けられたアリソン V-1710-39 エンジンは
過給器能力が低く、メッサーシュミットに対抗できなかった為
当初は、頑丈なボディを活かした地上攻撃機として
使用される事が多く地味な存在でした。
イギリスでは このP-51 の優れた潜在性を引き出すべく、
高々度性能に優れたロールスロイス・マーリン 65 エンジンを搭載
次第に戦闘機としての性能が開花
その後パッカード・マーリン V-1650-7 液冷12気筒 を搭載した
P-51Dは、マスタング・シリーズ中最もバランスの取れた機体となり
対日戦でも使用されこれが最高傑作の名を広める事になります。
10年以上も前ですが、茨城県の竜ヶ崎において零戦里帰り飛行に同伴した
プレーンズ・オブ・フェーム博物館所有の P-51を見る機会がありました
現在でも改修された、機体がエアレースで活躍しており
その姿を見る事が出来ます。
Posted at 2010/10/27 00:11:57 | |
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