
2月2日は、国際航空業務再開の日
1954(昭和29)年戦後GHQにより禁止されていた
国際航空業務が再開されたことにちなんで制定されました
輝かしい1番機は日本航空の
東京発~ウェーキ島(給油)~ホノルル~サンフランシスコ行
38席のうち14人が招待客で、一般の乗客は5人だけ
当時の日本では一般乗客として渡米するなど
ほんとに雲の上の話
当時の記録によると
なんと!!その時の片道運賃は23万4000円。
現在の価値基準に換算すると500万円弱。
つまり往復だけで1000万円もの費用が掛かりました!!
使用機種はダグラスDC-6B「シティ オブ トウキョウ」号
DC-6Bはダグラス社が開発し1947年初飛行の
4発大型レシプロ旅客機でライバルのロッキード コンステレーション
と並びレシプロ旅客機の最後の花として
後継機となるジェット機であるDC-8の生産が始まる
直前の1959年に生産を中止するまでに、計700機が製造され、
レシプロ旅客機として最後のベストセラー機となります。
また、アメリカ大統領専用機「エアフォース・ワン」として
ハリー・S・トルーマン・ジョン・F・ケネディ・リンドン・B・ジョンソン大統領の
専用機として使用されています。
さて、時の機長・副操縦士・航空機関士・航空士は
まだ、日本人が不慣れと言う事もありすべて
アメリカ人で、すべてが日本人クルーになるのは
4年後の1958年(昭和33年)4月1日まで待たねばなりません
しかし、このフライトはナショナルフラッグ(国旗を翼につけた)の
第一便として新聞でも報道され日航関係者はむろん
日本国民にも大きな夢と希望を与えました。
Posted at 2011/02/02 22:24:49 | |
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