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2011年04月20日 イイね!

平成23年(2011年)東日本大震災に対する自衛隊の活動状況(08時00分現在)

平成23年(2011年)東日本大震災に対する自衛隊の活動状況(08時00分現在)平成23年4月20日

1 災害派遣要請元及び要請日時
岩手県知事 3月11日14時52分 宮城県知事 3月11日15時02分
茨城県知事 3月11日16時20分 福島県知事 3月11日16時47分
青森県知事 3月11日16時54分 北海道知事 3月11日18時50分
千葉県知事 3月12日01時00分








2 防衛省・自衛隊の対応
(1) 派遣規模
人 員 : 約106,450名
(陸災部隊:約70,000名、海災部隊:約14,400名、空災部隊:約21,600名、原子力災派部隊:約450名)
航空機 : 487機
(回転翼175機、固定翼312機)
艦 船 : 51隻  が活動中
※3月14日、東北方面総監を指揮官とする統合任務部隊を編成

(2) 主な対応状況
ア 大規模震災災害派遣

(ア)関係命令
 3月11日14時50分 防衛省災害対策本部設置(本部長:防衛大臣)
 3月11日18時00分 大規模震災災害派遣命令
 3月16日11時58分 予備自衛官及び即応予備自衛官の災害等招集命令
 3月17日22時00分 大規模震災災害派遣命令の一部変更命令

(イ)活動内容
 航空機による情報収集、被災者の救助(19,247名)、人員及び物資輸送、給食支援、給水支援、入浴支援、医療支援、道路啓開、瓦礫除去、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、自衛隊施設(防衛大学校)における避難民受け入れ、慰問演奏

イ 原子力災害派遣

(ア)関係命令
 3月11日19時30分 原子力災害派遣命令(12日09時20分廃止)
 3月12日09時20分 原子力災害派遣命令
 3月17日03時00分 原子力災害派遣命令の一部変更命令
 3月19日01時00分 原子力災害派遣命令の一部変更命令
 4月15日18時25分 原子力災害派遣命令の一部変更命令

(イ)活動内容
 避難支援、給水支援、人員及び物資輸送、原子炉冷却のための放水、モニタリング支援、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、上空からの撮像、集じん飛行支援

ウ 現地調査団等の輸送支援

 ・ 政府調査団(第1陣:宮城県)の現地派遣
 ・ 経済産業副大臣及び原子力安全・保安院職員等の現地派遣
 ・ 総理大臣の現地視察(福島第1原発及び宮城県被災地上空等)
 ・ 政府調査団(第2陣:岩手県及び福島県)の現地派遣
 ・ DMAT(災害派遣医療チーム)の輸送支援
 ・ 防衛大臣現地視察(統合任務部隊編成)
 ・ 防災担当大臣現地視察
 ・ 防衛大臣現地視察(原子力災害派遣部隊現地調整所)
 ・ 防衛大臣現地視察(海災任務部隊、被災地、松島航空基地)
 ・ 総理大臣の現地視察(宮城県石巻市、東北方面総監部、松島航空基地)

エ その他

 3月18日(金)東北地方太平洋沖地震による被災地域において、自衛隊の部隊が実施する救援活動等に係る予備費の使用を閣議決定(約54億円)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(4月19日)

04時45分 北部方面航空隊 UH-1映像伝達機×1機が余震の状況偵察のため八戸離陸

07時00分 第9師団各部隊 陸前高田市等において捜索活動開始

07時45分 第12施設群 気仙沼市において捜索支援、瓦礫除去等開始

07時50分 第13施設隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

08時15分 中央即応連隊 捜索開始

08時30分 第301坑道中隊 南三陸町において捜索支援、瓦礫除去等開始

09時25分 第1戦車群 捜索活動開始

○海自

(4月19日)

05時09分 第2航空群固定翼機、秋田内陸部で発生した地震の偵察飛行実施

08時15分 第2航空群固定翼機、被災地周辺における捜索救難飛行実施

08時17分 第72航空隊回転翼機、被災地における捜索救助飛行実施

13時37分 「えんしゅう」、気仙沼大島の被災者に対し、救援物資を輸送

○空自

(4月19日)

05時07分 秋田救難隊UH-60×1機が、余震の状況偵察のため秋田離陸

06時57分 松島基地が捜索救助開始

06時58分 松島基地が物流管理支援開始

07時33分 北空派遣隊(山田)が捜索救護開始

07時57分 北空派遣隊(山田)が物資輸送開始

08時05分 北空派遣隊(山田)が炊き出し開始

08時08分 松島救難隊U-125とUH-60Jが石巻周辺で捜索救助活動開始

08時15分 北空派遣隊(山田)が救護作業開始

08時25分 松島基地が環境整備(大曲地区清掃)開始

08時27分 北空派遣隊(山田)が捜索救護開始

08時37分 松島基地が環境整備(参考館清掃)開始

08時54分 松島基地が瓦礫除去開始

09時13分 松島基地が医療支援開始

11時28分 入間ヘリCH-47 救援物資輸送のため石巻総合グラウンドから清崎運動公園まで空輸

12時47分 第3輸送航空隊C-1が救援物資(食糧)を福岡から花巻へ空輸

○原子力災害派遣による活動

(4月19日)

08時00分 第12旅団各部隊等 福島第1原発30km圏内において捜索開始

Posted at 2011/04/20 22:03:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年04月20日 イイね!

shkriya,dhanyawaad!!インド国家災害対策局対応部隊(NDRF)

shkriya,dhanyawaad!!インド国家災害対策局対応部隊(NDRF) shkriya,dhanyawaad(シュクリヤーダンニャワード)
ヒンディー語でありがとうと言う意味です。

今回の震災では、多くの海外からの支援を頂いていますが
初めて国外派遣されたインド国家災害対策局対応部隊(NDRF)
の活躍が報道されています。
インド隊のこの活躍はどれくらい報道されていたのだろう?

インドからは、毛布2万5,000枚とミネラルウオーター1万3,000本、栄養価の高いビスケットが
支援物資として届いており、順次、避難所へ届けられている・・・・

私達は、このような感謝の心を決して忘れてはいけません
次に彼らの地で何か困ったことがあった時には、この恩を返す事が
出来るようにしなくては・・・



産経ニュース 2011.4.20 12:30 配信

諦めない捜索に感謝の声 インド隊が見つけてくれた

「ごめんなー、おっかあ。見捨ててごめんな」

 東日本大震災の津波が、港から約1キロ内陸の高台にまで押し寄せた宮城県女川町の荒立地区。寒風が吹きすさぶ4月2日午後、10メートル以上に積み重なったがれきの中から運び出された遺体の顔を見た佐藤行義さん(38)は、むせび泣きながら母親、順子さん(59)の遺体を抱き締めた。自衛隊が取り組めなかった現場で作業したのは、今回初めて国外派遣されたインドの国家災害対策局対応部隊(NDRF)だ。

 佐藤さんの耳には、順子さんが津波に流されながら発した「助けてけろー」という叫び声が残り続けていた。天をつかむように必死に伸ばした順子さんの腕が、水面から突き出されたのを見たのが最後だ。

土台だけが残る自宅近くに避難所から毎日通い、順子さんと祖父の石森慶治さん(87)の行方を捜し続けた。通り掛かった自衛隊に捜索を掛け合ったが、作業の事情などですぐにはかなわず、途方に暮れていたときにインド隊が現れた。日本人ボランティアから佐藤さんの事情を聴いたアロック・アスワティ隊長(41)は即座に捜索を指示。作業2日目で順子さんが見つかった。

 地元住民の要望に耳を傾け、諦めずに懸命に活動するインド隊の姿に、住民から感謝の声が相次いだ。(EX編集部/撮影:共同/SANKEI EX PRESS)

      ■□■

 ≪「感謝つづられたノート」は町の一員の証し≫

 東日本大震災の被災地、宮城県女川(おながわ)町で3月28日から救援活動を展開したインドの国家災害対策局対応部隊(NDRF)は4月8日、任務を終えてインドに帰国した。取材に応じたアロック・アスワティ隊長(41)は「被災者の情報だけを頼りに、行方不明者を捜索することは極めて難しい作業だった」と振り返る一方、それでも困難な活動をやり通せたのは「(被災者たちが)隊員に対し外国人としてでなく、地元社会の一員として接してくれたおかげだ」と話した。

救助隊員歴17年のアスワティさんさえ、被災した女川町の様子に言葉を失ったという。「ツナミにすべてが流された状態だった。あれほど悲惨な風景は見たこともなく、想像をはるかに超えていた」

 電気も水もない。寒さは厳しく雨にも降られた。がれき撤去や行方不明者の捜索はすべて手作業だった。

 「あるのは住民の証言だけ。それをもとに、津波が襲ってきた後、そして、引いた後を想定して場所を特定し作業した」とアスワティさん。行方不明者を捜す住民にとっても、少しでも情報がほしいインド隊にとっても、お互いがなくてはならない存在となっていく。

 ■「女川の復興信じてる」

 ある家屋は、津波によって乗用車が屋上に乗りあげていた。不安定な状態だったが、支柱で固定し「危険で難しい作業」(アスワティさん)を開始。そして悪戦苦闘の末、乗用車から男性の遺体を発見した。「お父さんです。お母さんも一緒にいたはず…」との家族の証言をもとに再び捜索し、母親の遺体も見つけることができた。

 根気はいるが、手作業がかえってよかった。遺体を傷付けることがなかったからだ。遺体発見後は必ず2分間の黙祷(もくとう)をささげた。全日程を通して7遺体を収容。がれきや泥に埋もれたお金や貴金属、家族写真なども発見し回収した。

 最終日の6日、活動を終えると、女川町の被災者たちから1冊のノートをプレゼントされた。英語と日本語で感謝の言葉がつづられていた。

 「やりがいを感じた瞬間でした」と顔をほころばせるアスワティさん。自分たちが確かに、町の一員だった証しのように感じられた。

 「女川は以前よりもさらに美しい町になると信じている。数年後に女川に行って、その復興ぶりをこの目で見るつもりです」

 (ニューデリー 田北真樹子/撮影:共同、AP/SANKEI EX PRESS)



アスワティさんはじめ、
インド国家災害対策局対応部隊(NDRF)の方々
ありがとうございました・・・・shkriya,dhanyawaad!!
Posted at 2011/04/20 21:54:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記

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