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2011年05月12日 イイね!

平成23年(2011年)東日本大震災に対する自衛隊の活動状況(08時00分現在)

平成23年(2011年)東日本大震災に対する自衛隊の活動状況(08時00分現在)平成23年5月12日


1 災害派遣要請元及び要請日時
岩手県知事 3月11日14時52分 宮城県知事 3月11日15時02分
茨城県知事 3月11日16時20分 福島県知事 3月11日16時47分
青森県知事 3月11日16時54分 北海道知事 3月11日18時50分
千葉県知事 3月12日01時00分





2 防衛省・自衛隊の対応
(1) 派遣規模
人 員 : 約99,700名
(陸災部隊:約70,000名、海災部隊:約10,850名、空災部隊:約18,500名、原子力災派部隊:約350名)
航空機 : 約400機
艦 船 : 36隻  が活動中
※3月14日、東北方面総監を指揮官とする統合任務部隊を編成

(2) 主な対応状況
ア 大規模震災災害派遣

(ア)関係命令
 3月11日14時50分 防衛省災害対策本部設置(本部長:防衛大臣)
 3月11日18時00分 大規模震災災害派遣命令
 3月16日11時58分 予備自衛官及び即応予備自衛官の災害等招集命令
 3月17日22時00分 大規模震災災害派遣命令の一部変更命令

(イ)活動内容
 航空機による情報収集、被災者の救助(19,247名)、人員及び物資輸送、給食支援、給水支援、入浴支援、医療支援、道路啓開、瓦礫除去、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、自衛隊施設(防衛大学校)における避難民受け入れ、慰問演奏

イ 原子力災害派遣

(ア)関係命令
 3月11日19時30分 原子力災害派遣命令(12日09時20分廃止)
 3月12日09時20分 原子力災害派遣命令
 3月17日03時00分 原子力災害派遣命令の一部変更命令
 3月19日01時00分 原子力災害派遣命令の一部変更命令
 4月15日18時25分 原子力災害派遣命令の一部変更命令

(イ)活動内容
 避難支援、給水支援、人員及び物資輸送、原子炉冷却のための放水、モニタリング支援、ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供、上空からの撮像、集じん飛行支援

ウ 現地調査団等の輸送支援

 ・ 政府調査団(第1陣:宮城県)の現地派遣
 ・ 経済産業副大臣及び原子力安全・保安院職員等の現地派遣
 ・ 総理大臣の現地視察(福島第1原発及び宮城県被災地上空等)
 ・ 政府調査団(第2陣:岩手県及び福島県)の現地派遣
 ・ DMAT(災害派遣医療チーム)の輸送支援
 ・ 防衛大臣現地視察(統合任務部隊編成)
 ・ 防災担当大臣現地視察
 ・ 防衛大臣現地視察(原子力災害派遣部隊現地調整所)
 ・ 防衛大臣現地視察(海災任務部隊、被災地、松島航空基地)
 ・ 総理大臣の現地視察(宮城県石巻市、東北方面総監部、松島航空基地)

エ その他

 3月18日(金)東北地方太平洋沖地震による被災地域において、自衛隊の部隊が実施する救援活動等に係る予備費の使用を閣議決定(約54億円)

(3) 自衛隊の活動
○陸自

(5月11日)

06時45分 第6特科隊及び第6高射特科群が福島第一原発30㎞圏内において捜索活動を実施。

07時25分 第13普通科連隊が福島第一原発30㎞圏内において捜索活動を実施。

07時45分 第30普通科連隊が福島第一原発20㎞圏内において捜索活動を実施。

07時50分 第13施設隊が南三陸町及び東松島市において捜索支援・瓦礫除去等を実施。

08時12分 中央即応連隊が福島第一原発20㎞圏内において捜索活動を実施。

08時50分 第17普通科連隊が福島第一原発20㎞圏内において捜索活動を実施。

○海自

(5月11日)

07時18分 第21航空群の回転翼機が被災地周辺における捜索救難飛行を実施。

08時26分 第4航空群の固定翼機が被災地周辺における捜索救難飛行を実施。

15時25分 横須賀警備隊が石巻市中央市営駐車場にて被災者294名に対し、入浴・シャワー支援を実施。

16時50分 「ゆら」が函館から大湊へ陸自トラック2台及び灯油ドラム缶89本、エンジンオイル等62缶、カセットボンベ50本を輸送。

○空自

(5月11日)

07時00分 中空派遣隊(松島)が給水支援開始。

07時40分 中空派遣隊(松島)が医療支援開始。

07時46分 航空救難団(秋田、新潟)のU-125A×1機、UH-60J×1機が捜索活動開始。

08時23分 北空派遣隊(山田)が捜索活動開始。

08時25分 北空派遣隊(山田)が給食支援開始。

10時44分 入間ヘリコプター空輸隊のCH-47J×1機が牡鹿清崎運動公園への救援物資空輸を開始

13時07分 航空救難団(秋田、新潟)のU-125A×1機、UH-60J×1機が捜索活動開始。

Posted at 2011/05/12 22:38:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年05月12日 イイね!

がんばる 海上保安庁

がんばる 海上保安庁5月12日 、今日は「海上保安の日」です

海上保安庁(Japan Coast Guard)は昭和23年に組織され5月12日、庁舎屋上に庁旗が掲揚されたことを記念して、「開庁記念日」とし 
平成12年「海上保安の日」として定めました。







東日本大震災でも発生当初より被災地へ展開し活動していますが、
その活動に関する報道は極めて少なく、もしかすると自衛隊や米軍よりも
少ないんじゃないかとも思えます。
先般の尖閣諸島の衝突事件のこともあり、海上保安庁への風当たりが
強い事も影響しているとは思いますが、大変残念なことです。

先ごろは『海上保安庁は武器を持った集団』という甚だ不当な発言も
ありましたし・・・・・

海上保安庁の活動は、とても幅広く、人命救助・捜索活動、支援物資の搬送
以外にも今後発生するかもしれない津波の警戒・沿岸の警備、灯台などの
施設復旧など等、多くの方が目にする事がありません。

しかし、漂うがれきをかき分けて捜索を行う海上保安庁の潜水士の方々が
行なう任務はもっとも危険な活動かもしれません



産経ニュース2011.3.28 配信

海中の視界50センチ 「海猿」手探りの不明者捜索

東日本大震災の行方不明者約1万6千人。その多くが津波で海に流されたとみられている。震災直後から「海猿」で知られる海上保安庁の「特殊救難隊」が捜索しているが、これまでに海から収容された遺体は73体しかない。土砂で視界50センチの手探りの捜索、海上を埋め尽くす膨大ながれき、遺体が浮かびにくいリアス式海岸。多くの悪条件が潜水士の前に立ちはだかっている。(桜井紀雄)


「家族のもとに」

「生きて救助できることを願うが、亡くなっていたとしても一人でも多く、ご家族のもとにお戻ししたい」。東北を管轄する第2管区海上保安本部(2管)の井上彰朗・総務課企画係長(34)はこう語る。

 海保は震災発生と同時に全国の管区の船艇、航空機を結集。15~16日には、福島県相馬市の港で座礁中の船からそれぞれ船員23人を救助するなど、救助活動に集中してきた。

 約2週間で救助したのは、一つの管区の年間救助者数に匹敵する324人。海保幹部は「できることを最大限やっているが、被害の母数から見ると極端に少ないかもしれない」と話す


視界50センチの闇

「地上での捜索の経過を考えると、行方不明者の半数が海に流されたのではないか」。警察関係者は推測する。
海保では生存者の発見が減るのに伴い、水や食糧の輸送支援とともに海中の遺体の捜索に全力をあげている。
海保は全国から高い潜水技術を誇る「特殊救難隊」を含む数十人の潜水士を投入している。家族からの行方不明情報をもとに港湾内の捜索を続けているが、未発見に終わるケースも多く、1日1~2人の発見にとどまっている。
海での捜索を困難にしているのは、潜水士にとって最悪ともいえる海中の状況だ。
一條正浩・海上保安報道官は「津波で流出した土砂で海水が濁り、視界50センチでの捜索活動になっている。一つ一つ手で触れて確認するしかない」と説明する。
ゼロに近い視界に加え、港湾内には押し流された大量のがれきがびっしりと海面を埋め尽くしている。
ダイバーの民間団体が捜索の協力を申し出たが、あまりの危険性の高さに海保は断った


深い水深の海

海保は「津波が襲ったのがリアス式海岸だったことも影響している」とみている。水深が深いリアス式海岸ではいったん深く沈んだ遺体が再び浮き上がるまでに時間がかかる。
津波の引き波で海に大量に押し流された土砂の下敷きになったままのケースも想定されている。さらに、いまだ冷たいままの東北の海。一般に海水温が高い方が浮上する割合が高いとされる。
現在、主な捜索海域は港湾内だが、沖合に流れ出た遺体も多いとみられている。


毎日新聞 3月30日 配信

東日本大震災:海保「救えなくても感謝される…つらい」

「こんな悲しい仕事はない」。東日本大震災の行方不明者捜索にあたる海上保安庁特殊救難隊の隊員はこうつぶやいた。

映画「海猿」シリーズで注目されたこの隊の最大の任務は人命救助だ。海上保安庁はこれまで被災地全体で324人を救助、76人の遺体を収容した。だが被災から2週間以上が過ぎた今は、生存者の救助だけでなく遺体発見も難しい。「ここまで捜してもらっても見つからないのなら」。行方不明者の家族が気持ちに区切りをつける。そんな役割も担っている。

救難隊員の増井雅和さん(27)が海面で叫ぶ。「車があった。人がいないか確認します」。26日、岩手県宮古市重茂(おもえ)の石浜地区。前日から周辺海域で捜索にあたっていた特殊救難隊員ら4人の捜索チームがこの日、地域住民に頼まれたのは行方不明者が乗っていた車の捜索だった。

チームが重茂で捜索にあたったのは25、26日だ。25日には行方不明になっていた72歳の男性の遺体を海中で発見した。地区の住民ががれきの下を捜し続けたが、この日まで見つけることはできず、海保に捜索を依頼した。身元を確認した親族は「遺体が見つかるだけでも幸せです」と語ったという。

石浜地区の漁業、石村辰五郎さん(57)は26日、隊員たちに頼み込んだ。「奥さんが流されていて、手がかりがない人がいるんだ。せめて車だけでも見つかれば気持ちが整理できる」。石村さん自身も母スエさん(83)と孫の飛輝(とき)ちゃん(3)の行方が分かっていない。「おらんとこも何にも見つからねえ。だからよ、手がかりがあるなら見つけてあげてほしいんだ」。厳しい表情で語る石村さんの頼みを受け、石浜地区を捜索することになった。

行方不明になったのはこの地区で漁業を営んでいた馬場光紀さん(48)の妻美和子さん(45)だ。石浜地区の昆布の加工場で働いていたところを津波に襲われた。沿岸から200メートルほど離れた場所だ。乗っていた軽乗用車は加工場近くに置いており、乗って避難しようとした可能性もあるという。光紀さんは「(自分たちでは)捜しても捜しても見つからない」と話し、隊員たちの捜索を岸壁近くで見つめた。


◇冷たい海に潜水 必死の捜索

隊員たちは海域の潮流などについて住民たちに聞きながら、捜索場所を決めていく。最初の捜索で車が1台見つかった。岸壁から約50メートル離れた海面に増井さんが顔を出して叫ぶ。「ナンバーは××-××」。住民から「その車の持ち主は別の人だ」と声が上がる。

2度目の潜水では、隊員たちは指も足も感覚がなくなりつつある。5度を切る水温の中で作業を続ける隊員の体力は限界に近づく。その時、「車が見つかった。ナンバーは……」。美和子さんの車だ。隊員たちはすかさず「(中に)人がいないか確認します」と言い、再び潜水を始めた。数分後、潜水服のオレンジ色が海面に上がってくる。叫ぶ。「人はなし、人はなし」。光紀さんは「ふうっ」と息をつき、しゃがみこんだ。

隊員たちが陸に上がってきた。光紀さんは小さく一礼した。そして「良かった。車だけでもあったんだ」とつぶやき、また海を見つめた。

作業を終えてたき火で暖を取る隊員たちから「(見つけられず)悔しいなあ」との声が漏れた。地区の消防分団長が近づいてきた。「ありがとうございました。これで次に進めます」。みんな行方不明の家族をあきらめきれず、災害対応に身が入らない。車だけでも見つかれば気持ちが落ち着く、そういう現実があるという。

陸上で指揮した第2管区海上保安本部刑事課の西野正則さん(52)は言った。「人命救助より、(生きている人が)区切りをつけるための捜索になっている。命を救えなくても、感謝される。これはつらいし、悲しいことだよ」






2ヶ月が過ぎ縮小されたとはいえ、死者数に匹敵する人数が
未だに行方不明・・・・・

洋上では発見は極めて困難であり、沿岸では水中視界が
ほとんどないという最悪の環境で捜索活動は今でも続いている・・・・・

一生懸命やっていても視聴者受けしないから報道しない・・・
これでいいのかな?
自衛隊、警察、消防、海上保安庁、自身の被害を
差し置いての救済活動は評価されるべきだと思うのですが・・・・

それが任務といえばそれまでなんですが・・・・

個人としては、

『皆様ご苦労様、本当にお疲れ様です。大変な状況が続く任務、
これからもよろしく頼みます。頑張れ海保ー!!』

と素直に感謝しています。














Posted at 2011/05/12 22:33:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記

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