
あの日を改めて思い起こす
雪の朝となった
2015年3月11日(水)
「3.11」から4年が経過した
職場でも発生時刻14:46
黙祷が行われ
全国各地でも追悼式が行われた。
日本人は何事も3年で物事を区切る
習慣があるようだが
この未曽有の震災の関しても
時が経過するにつれ
人々が日々の生活に追われながら
次第に記憶の風化が進んでいるのは事実
毎日が目まぐるしく変化する日常の生活中で、
震災の記憶の風化は自然の理であり、致し方ない
ただ、年に一度は東日本大震災に思いをはせて欲しいと思う
継続の継承で、後世に語り継がれる事は、決して無駄なことではなく
被災地へのエールとなり、今後も起こりうる自然災害に対しての
防災意識の向上繋がり、対処にも役立つと思う。
今も避難生活を強いられている人々の数約23万人
地域社会の復興や原発問題など
まだまだ問題がまだまだ山積みの中
常磐道が開通し、仙石線も復旧する
インフラが徐々に整備され始めた
震災から4年目の始まり・・・
何が出来るのか
出来るのではなく、何をしてゆくのか
与えられた命で、これから何がしたいのかを
改めて、震災と向き合い考えたいと思う。
「東日本大震災4周年追悼式」
天皇陛下のお言葉の全文
東日本大震災から4年が経ちました。ここに一同とともに、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
4年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者・行方不明者が生じました。テレビに映った津波の映像は、決して忘れることのできない本当に恐ろしいものでした。
死者・行方不明者の中には危険をかえりみず、人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが、今も痛ましく思い出されます。被災地で、また避難先で、被災者の多くが今日もなお、困難な暮らしを続けています。特に年々、高齢化していく被災者の健康は深く心にかかります。
さらに、この震災により原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされました。今なお自らの家に帰還する見通しが立っていない人が多いことを思うと、心が痛みます。この4年間、被災地においては人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。またこうした努力を支援するため、国内外の人々が引き続き、いろいろな形で尽力しています。
この結果、地場産業の発展、防災施設の整備、安全な居住地域の造成などさまざまな進展がみられましたが、依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民みなが心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
このたびの大震災においては、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切かを学びました。こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝え、より安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であると思います。
この14日から宮城県仙台市において第3回国連防災世界会議が開催されますが、この会議において、我が国のみならず世界各国においても、この大震災の教訓が分かち合われ、被害の軽減や人々の安全性の確保に意義ある成果が挙げられることを願っています。被災地に一日も早く安らかな日々が戻ることを一同とともに願い、御霊への追悼の言葉といたします。
最後になりましたが、改めて被災者の方々、亡くなられた方々に哀悼と
震災以降、現在まで被災地に対し、数多くの方々よりのら応援・支援にたいして
感謝したいと思います。
雪/金子みすゞ
だれも知らない野のはてで
青い小鳥が死にました
さむいさむいくれがたに
そのなきがらをうめよとて
お空は雪をまきました
ふかくふかく音もなく
人は知らねど人里の
家もおともにたちました
しろいしろいかつぎ着て
やがてほのぼのあくる朝
空はみごとに晴れました
あおくあおくうつくしく
小さいきれいなたましいの
神さまのお国へゆくみちを
ひろくひろくあけようと
Posted at 2015/03/11 23:24:03 | |
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東日本大震災 | 日記