
直木賞作家でもあり
マルチな活動で知られた
野坂昭如氏が9日午後10時37分ごろ、
心不全のため死去した。享年85歳
昭和の顔が、また一人旅立った
当然、会った事も無い方なのだが
正直な処、野坂氏の第一印象は・・・
この CM が、当時のイメージのすべて
今見ても、サングラスを掛けたへんなおじさんである
酒好きの戦後闇市派は、何かと型破りな人で
直木賞を受賞した 戦争体験をもとにした小説、「火垂るの墓」
日本レコード大賞童謡賞を受賞した 童謡「おもちゃのチャチャチャ」を
世に送りだす横顔の一方で・・・・
1983年(昭58)に、当選したばかりの参院議員の職をなげうって
田中角栄元首相の地盤、衆院旧新潟3区「田中型政治との対決」を掲げて立候補
世間を驚かせるも・・・見事落選
この時の、田中角栄氏
冬場の新潟に乗り込んできた、野坂氏に・・・
「あれ(=野坂氏)のオヤジは新潟の副知事だったが、
息子は雪国の怖さを知らない極楽トンボ。風邪をひくから靴下、長靴、手袋を差し入れてやれ」
と指示 届いた衣類の山を見た野坂陣営はあ然とした・・・と言う逸話が残っています。
その後・・・破れた野坂氏は角栄氏の秘書に
「ありがとうございました。もう、選挙はでません」と電話をかけたのだとか・・・・
しかし・・・田中角栄氏が政界を引退した際には
「功罪はいろいろあるが、金権政治の定着を進めたという意味で罪の方が大きい」と断じる等
社会通念にとらわれず自身の声を発信し続けた・・・
焼け跡闇市派として独特の言動と視点で、
最後まで平和へのメッセージを送り続けた野坂氏は
死の2日前に、こんな言葉を残している・・・
「はや、師走である。町は、クリスマスのイルミネーションに、さぞ華やかに賑やかなことだろう。
ぼくは、そんな華やかさとは無縁。風邪やら何やら、ややこしいのが流行っている。
ウイルスに冒されぬよう、ひたすら閉じこもっている。賑わうのは結構なこと。
そんな世間の様子とは裏腹に、ぼくは、日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような
気がしてならない。
明日は12月8日である。昭和16年のこの日、日本が真珠湾を攻撃した。
8日の朝、米英と戦う宣戦布告の詔勅が出された。戦争が始まった日である。
ハワイを攻撃することで、当時、日本の行き詰まりを打破せんとした結果、戦争に突っ走った。
当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、
近頃、かなり物騒な世の中となってきた。戦後の日本は平和国家だというが、
たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、
その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。
気付いた時、二者択一など言ってられない。
明日にでも、たったひとつの選択しか許されない世の中になってしまうのではないか。
昭和16年の12月8日を知る人が、ごくわずかになった今、また、ヒョイと
あの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。」
『昭和』とういう時代の寵児がまた一人去っていった・・・
故人のご冥福を心よりお祈りいたします。
Posted at 2015/12/12 00:47:41 | |
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