2016年03月22日

数日前になりますが
産経デジタルが運営する
産経新聞のニュースサイト
「産経WEST」に117クーペが
取り上げられておりました~♪
クルマ専門誌ではなく、一般の方も
多く見ることが出来るサイトで
自分の愛車の事が、取り上げられるのは
ちょっと、うれしいですねっ
世界が賞賛!美しすぎる手作りクーペ
いすゞ「117クーペ」 スカGよりも高額の秘密
1966年(昭和41年)、ジュネーブ国際モーターショーに一台の日本車が出展された。流麗なカーブを描くボディラインと豊かなボリュームを持つ4座クーペは「ギア・いすゞ117スポルト」と名付けられ、会場で異彩を放っていた。
デザインを手がけたのはイタリア・ギア社のジウジアーロ。117は「美しいクルマ」として高く評価され、同ショーの「コンクール・デレガンス」で優勝する。
同年10月、いすゞは117を東京モーターショーに持ち込んだ。ここでも大人気となる。
市販を望む声は高まり、いすゞ経営陣にも「ショーカーのままで終わらせたくない」という強い思いがあった。そして、開発コード番号117をそのまま車名とし、「117クーペ」として量産化を決断する。
だが、美しいデザインゆえに、その再現は簡単ではなかった。細いピラーなどの繊細なオリジナルデザインは当時のプレス技術による加工は難しく、手づくりの工程を加えることになった。
ボディをたたき、ハンダを盛り、ヤスリでこする…多くの部分を職人による手作業に頼った。技術指導のためイタリアから板金職人も招いた。
こうして68年、117クーペが誕生する。ハンドメイドのため月産わずか50台。大卒の初任給が約3万円の時代、販売価格は172万円と、同時期のスカイラインGT-Rやコスモスポーツよりも高かった。
73年からは量産が可能になったが、生産台数は10年間で9万台足らず。商業的には成功と言えなかった。しかし発売後10年間に1台の廃車も出なかったという驚くべき記録を持っている。オーナーが大切に乗った証しだろう。
いすゞが乗用車生産から撤退して久しいが、117クーペに対する気概は、日本の自動車史に熱い記憶として刻まれている。(中村正純)
2016/3/19/産経WEST配信
■117クーペの性能
エンジン▼水冷直列4気筒DOHC 1584cc 120馬力
ボディ▼全長4280×全幅1600×全高1320ミリ
車両重量▼1050キロ 最高速度▼時速190キロ

Posted at 2016/03/22 22:50:37 | |
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