
東日本大震災で発生した津波よって
駅舎や線路が流され、
不通となっていたJR常磐線の
宮城と福島を結ぶ区間で
2016年12月10日
5年9カ月ぶりに再開されました。
これにより、常磐線は、宮城県内と
福島県相馬地方が鉄路で繋がりました。
運行が再開したのは
浜吉田(宮城県亘理町)~相馬(福島県相馬市)の区間
JR東日本によると、再開区間6駅のうち、
坂元、山下(いずれも宮城県山元町)新地(福島県新地町)の3駅は
内陸に最大で約1.1キロ移設。新地駅はかさ上げされた場所に造られ、
坂元、山下両駅は高架化され線路も内陸に入ったことから、
区間距離は23.2キロとなり東日本大震災発生以前よりも0.6キロ長くなりました。
なお、福島県の小高(南相馬市)―竜田(楢葉町)駅間は、
福島第一原発事故などの影響で現在も不通が続いています。
<常磐線>軌道の響き沿線に笑顔
JR常磐線が相馬(福島県相馬市)-浜吉田(宮城県亘理町)間で運行再開した10日、沿線に喜びの小旗が揺れた。東日本大震災による休止から5年9カ月。久しぶりの軌道の響きに、地域住民は確かな復興の足取りを感じ取った。
この日、駅舎が移設された自治体ではセレモニーが開催された。宮城県山元町の斎藤俊夫町長は「途切れた鉄路が再びつながることを喜び合いたい」とあいさつ。福島県新地町の加藤憲郎町長も「鉄道を核に活気ある街づくりを進める」と力を込めた。
各会場では小旗や記念グッズが配られた。「おかえり!常磐線」と書かれた横断幕も登場し、沿線は祝賀ムードに包まれた。
一番列車は午前5時台。夜明け前にもかかわらず、駅には利用客や見学に訪れる住民の姿があった。
山元町の山下駅では、横浜市職員の岩沢利之さん(56)が一番乗りを果たした。昨年から応援職員として町に派遣され、鉄道の復旧事業に携わってきた。「ようやくこの日を迎えることができた。涙が出る思い」。午前4時に並び、念願の切符を手にした。
沿線となる宮城県南、福島県沿岸部にとって、仙台市は身近な存在だった。100万都市と直結したことで、常磐線の利便性は一気に高まる。
夫婦で山元町の坂元駅に足を運んだパート佐藤由美子さん(60)は、仙台が勤務先。これまでは浜吉田駅まで車で向かい、列車に乗り換えていた。「常磐線1本で行けるので便利になります」
新地町の高校1年寺島彩さん(16)は、学校行事に参加するため早朝の上り列車に飛び乗った。「仙台で気軽に遊べるようになるのがうれしい。たくさんライブに行きたい」と声を弾ませた。
<常磐線>チーム常磐 困難乗り越え工期短縮
10日に運行を再開した常磐線相馬-浜吉田間。当初は2017年春とされてきた開通予定を半年近く前倒しできた陰には、昼夜を分かたず作業に当たったJR東日本常磐復興工事区「チーム常磐」の奮闘があった。
復興工事区を率いた石川文雄区長(45)は山下駅で一番列車を見送った。「思わずポロッと来ちゃったね」。動きだす列車を見ながら、この3年間感じ続けた緊張が次第に解けていった。
復興工事区が宮城県山元町に設置されたのは2013年11月。在来線の新線を造ること自体が珍しくなっていたJRにとって、15キロに及ぶ鉄路敷設は未知とも言える作業だった。沿岸部は復興工事が最盛期を迎え、資材や人材が足りない。作業は困難を極めたが、工期短縮へあらゆる手段を取った。
戸花山(とはなやま)と呼ばれる丘陵地に全長604メートルのトンネルを通した工事が象徴的だ。標高はわずか30メートル余り。普通なら山肌を切り崩して線路を敷くが、一帯には平安時代の大規模な遺跡があって発掘調査が必要だった。
調査を待てば完成が1年近く遅れる。斜面には住民が植えてきたサクラもある。地形を変えずに済むよう、あえてトンネル掘削に挑んだ。もろい地盤を薬剤で固め、慎重に掘り進めた。
「チーム常磐」という名前は復興工事区立ち上げの時に石川区長が付けた。「厳しい仕事になるのが分かっていたから、よりどころになる言葉が欲しかった」。当初のメンバーは自身を含めて11人。20代中心で全員仙台に住まいがあったが、山元町内の寮に泊まり込みで作業が続いた。
寮の周りにはコンビニもスーパーも居酒屋もない。疲れを癒やしてもらおうと、時には石川区長がポケットマネーをはたいて寮の冷蔵庫を缶ビールで埋めた。
ピーク時は総勢15人で作業に当たり、全体の工期を半年近く縮めた。「作業員も含めて1000人以上が一丸となって働くことができたおかげです」。石川区長はほっとした表情で話した。
2016/12/11/河北新報配信
復興の加速が進むインフラとして期待される鉄路
東北にも伸びた新幹線網に接続する在来線の各駅は
今後も人や物流の動脈として重要な拠点として
今後も必要不可欠なものと言いたいところですが
地方路線の現実は甘くないようです
東北の鉄路には厳しい現実、東北の沿岸地域の
JR路線はほとんどが赤字であることはご存知かと思います。
人口流出、移動手段の変化により高速道路が整備され
日本国内の交通事情は大きく変化しています。
宮城県内の被災路線は、バス高速輸送システム(BRT)の
一部導入を含め全て復旧した地域もあります。
しかしながら、多くの人が、鉄路での復旧を望んでいます。
国鉄時代に全国へ張り巡らされた鉄道網のおかげで
通勤、通学で毎日のように利用する一方、
帰省や旅行でも使用頻度の高い鉄道。
当方も、乗り物好きで、子供の頃は
仙台駅へ列車を見に行っていました。
まだ、東北新幹線が無かった時代
東北本線や常磐線の特急列車は花形で
鉄ちゃんではなくとも国鉄カラーの車体に憧れたものです。
そして・・・いろんな想い出の舞台になりうる駅。
近年ではエキナカの魅力等・・・鉄道は極めて
身近な存在だけに、鉄道に対する日本人の鉄道へ感情には
特別な物がよあるからかもしれません。
さて・・・デビュー時から
暫くの間は・・・
所属事務所の芸映の最寄り駅が千代田線赤坂駅
千代田線を利用して・・・
電車通勤もしていた\(◎o◎)/!
河合奈保子さんですが・・・
この当時は、新幹線もまだ
全国に張り巡らされていなかったので・・・
地方へのお仕事へ向かう時に
多くの在来線を利用しておりました。
こんなコメントも残ってますねっ
多忙な日々を送っていた
奈保子さんなので、
多分・・
列車の車内は・・・・
きっと、ホッと一休み出来る時間だったのかも
知れませんねっ(^^♪
という事で・・・本日は
鉄道に絡めて、河合奈保子さんが歌い上げる
国鉄のイメージソングにもなった
山口百恵さんの名曲「いいい日旅立ち」
そして・・・
「北駅のソリチュード 」と・・・
「ジェラス・トレイン 」を・・・

Posted at 2016/12/11 23:14:37 | |
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