
1936年1月23日
大阪・神戸・京都を結ぶ大手私鉄の
阪急電鉄(当時:阪神急行電鉄)が
1935年に読売新聞社が
大日本東京野球倶楽部などが
結成したのを受け大阪阪急野球協会と共に
設立されたのが、「阪急職業野球団」です。
阪神急行電鉄の創設者である小林一三氏が
ライバル企業である阪神電気鉄道が立ち上げた
大阪タイガースに対抗するため、設立を決意したとも言われ
慶応義塾大学卒業であったことから
当時盛んだった六大学野球の慶應スター選手を入団させ、
同大学のOBを監督として招き球団として始まりました。
同年2月5日に結成された日本職業野球連盟に参加。
「阪急職業野球団」は、企業名を球団名に入れた
日本で最初のプロ野球球団としても知られています。
戦後、阪急はパシフィック・リーグ所属となり
1947年 球団名を「阪急 ブレーブス」に改称
リーグ優勝 12回、日本一 3回 という名門球団となりました。
この名門チームに激震が走ったのは、
球団創設52年目の1998年
名将上田利治監督(2回目)体制の8年目の事
パ・リーグ名門球団「阪急ブレーブス」球団譲渡合意を発表
阪急電鉄の創立記念日である10月19日に
球団がオリエント・リースに買収が発表され
「昭和」最後の年が・・・
パ・リーグ最古の球団のラスト・イヤーとなってしまいました。
創設者の小林一三氏の遺訓である
「阪急ブレーブスと宝塚歌劇は絶対に手放すな」
という言葉に反し球団を売却したのは
この年1月1日 球団オーナーに就任した、小林公平氏
歴史的な球団である「阪急ブレーブス」を売却した事で
当時は、関西の野球ファンからは、極悪人の様に言われる方ですが
折しもバブルの発端の1988年、阪急グループの進めていた
鉄道沿線事業の収益を確保する為、土地活用の拡大路線を取っていた
兼ね合いから、球団売却は経営者として当時は必要な判断だったのかもしれません
ただ、その後のバブル崩壊で、阪急グループの経営が1兆円にのぼる負債を作り
グループ経営の悪化を招いたことから、阪急グループの全ての職を辞しています。
しかし、宝塚歌劇のオーナーとして知られた小林公平氏の
文化面での活動は、ペンネームの「公文健」名義で
作詞するなど公演スタッフとしても活動
宝塚歌劇の公演頻度の改革や脚本・原案を手掛けるなど
上方芸能界では多大な功績を残した人として記憶されています。
この「公文健」名で作詞された曲の一つが
河合奈保子さん1988年7月21日リリースのシングル「Harbour Light Memories」
この曲は、神戸ポートピアランドのイメージソングで
阪急西宮球場で開催する阪急ブレーブスの主催試合では
「Harbour Light Memories」をバックに
球団マスコットのブレービーがダンスを行っていました。
又、阪急阪神ホールディングスが大株主である
池田泉州銀行のCMで使用する楽曲「風の音」は
河合奈保子さん作曲のピアノインストゥルメンタルです。
と・・・いう事で、今宵の奈保子さん動画は・・・
「Harbour Light Memories」 阪急西宮球場での始球式をバックに
EAST'88FINALライブ「NAOKO THANKSGIVING PARTY」より
メンバー紹介からの「Girls Like a Party」→「GT天国」
アルバム「Summer Delicacy」より・・・「幻の夏」を・・・
#NAOKOfanmeeting
Posted at 2018/01/24 00:20:47 | |
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