
2019年5月1日 新天皇陛下が、即位され
即位の儀式「剣璽等承継の儀」において
皇室の正統たる帝の証しとされている
「八尺瓊勾玉」と「天叢雲剣」が継承されました。
日本神話において、天孫降臨の際に
天照大神(アマテラスオオミカミ)が
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に授けたとされる
天皇家に伝わる三種の神器ですが・・・
現代社会においても諸説が飛び交う、謎の多い宝物です。
このうち・・・
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)
【別名:草薙剣(クサナギノツルギ)】 は・・・
もっとも名が知られている、御神器では・・・無いでしょうか?
という事で・・・少しだけ
古代日本史(日本神話)に触れてみる事にしましょう♪
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)【別名:草薙剣(クサナギノツルギ)】は
天照大神(アマテラスオオミカミ)の弟である素盞嗚命(スサノオノミコト)が
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時、その体内から出現した剣で
雨雲を呼び出す力を持つ霊剣で、素盞嗚命(スサノオノミコト)は
高天原の天照大神(アマテラスオオミカミ)に献上し天孫降臨の際に、
天照大神(アマテラスオオミカミ)から三種の神器として
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に手渡され、
葦原中国(アシハラノナカツクニ)へと降りたとされています。
その後、皇居内に天照大神(アマテラス)の御神体とされる
八咫鏡(やたのかがみ)とともに祀られていましたが、
崇神天皇の時代に、鏡と剣は宮中から出され
外で祭られることになり天叢雲剣については
皇女豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)により、八咫鏡(やたのかがみ)
とともに皇居の外で祀られるようになりました。
垂仁天皇の時代には、倭姫命(ヤマトヒメ)に引き継がれ、
伊勢神宮・内宮に落ち着いたとされております。
景行天皇の御代、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は・・・
伊勢国の倭姫命(ヤマトヒメ)から、
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に渡され向かった
東国の制圧(東征)の際に、 騙されて草原に誘導され
火を放たれ絶体絶命のピンチを迎えた、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で周りにあった草を刈り取り、
倭姫命(ヤマトヒメ)が持たせてくれた火打石で
周りの草を焼いて、難を逃れることができたという、
草を薙いで窮地を脱した話から、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は、
別名である草薙剣(クサナギノツルギ)と名付られたと言われています。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東国の制圧(東征)は簡単に
終わったものではなく、幾度かの試練に阻まれます。
『古事記』によれば、浦賀水道(走水の海)から
上総に船で渡ろうとした時に、波が荒れて難儀しました。
この時、妃の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が
「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」
(相模の野で火が燃え上がっている中で私の事を心配してくれた、
それが忘れられない)
と、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、へ歌を残し
海中に入り海神を鎮める事で、船を進ませ
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)無事に
上総にたどり着かせるという悲しいお話が書かれています。
亡くなった弟橘媛(オトタチバナヒメ)を思い・・・
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、その悲しみから
何日もその場を立ち去る事ができず、漂着した弟橘媛(オトタチバナヒメ)の
袖を見た日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が読んだ歌が・・・
「君去らず 袖しが浦に 立つ波の その面影を みるぞ悲しき」
この歌の“君去らず”から「木更津」が、また“袖しが浦”から「袖ケ浦」
という現在の地名ができたともいわれ
また・・・東国の制圧(東征)を終える帰途、
足柄山で、亡くなった弟橘媛(オトタチバナヒメ)を偲び
「吾妻はや(ああ吾が妻よ)・・」と発せられた言葉から
これが山の東の国(つまり吾妻の国)をアズマ(東)と呼ぶ
由来とも伝えられています。
この・・・悲劇のお話を、題材として上演されたミュージカルが・・・
スーパー古典ミュージカル「ヤマトタケル」です。
原作は・・・今年の1月12日にお亡くなりになられた
古代史や文学、宗教などを横断し次々に大胆な仮説を提示
「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立た
戦後日本を代表する仙台出身の哲学者 梅原猛氏でした。
このミュージカルにおいて、悲劇のヒロイン
弟橘媛(オトタチバナヒメ)を演じたのが・・・
ミュージカルという、新しい表現方法で
1989年から音楽を模索されていた河合奈保子さんです。
主演の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、
三田村邦彦さんが勤めました。
「ヤマトタケル」(1994年・1996年、イマジンミュージカル)
従来、古典の世界でのみ表現されてきた
言葉の意味・その受け取り方などを
現代的に表現したこの物語は・・・
梅原氏が「古事記」の現代語訳からヒントを得て
古劇の復活から古典の再創造の第一作目のスーパー歌舞伎として
宙乗りや派手な立ち回りなどエンターテイメントが話題になった
スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」として1986年に、
三代目市川猿之助さんが演じたものを
ミュージカルに書き下ろされた作品でした。
奈保子さんが持つ独自の日本感を表現する作品は、1987年6月24日リリースの
アルバム「JAPAN as waterscapes 」(MY SONG Ⅱ)において
発表されておりますが、1989年から取り組まれた
それまで、奈保子さんが演じてきたミュージカルとは表現方法が、
大きく異なる作品「ヤマトタケル」を奈保子さんは、
物語を一つ一つ咀嚼しながら、表現方法を考察し
悲劇のヒロイン弟橘媛(オトタチバナヒメ)の演技に臨まれた様です。
もしかしたら・・・演技表現を行う際に
「JAPAN as waterscapes 」(MY SONG Ⅱ)で
アートワークを行った市川右近(三代目 市川右團次)さんの
アドバイスもあったかも知れませんねっ♪
という事で・・・今宵の奈保子さん動画は・・・
アルバム「JAPAN as waterscapes 」(MY SONG Ⅱ)より
「水の四季」
「霧の降る夕闇」
「桜の闇に振り向けば」を・・・・