
4月11日は・・・
バンドマスターで指揮者
そして、ラテンパーカッション奏者の
故ダン池田さんの誕生日
先日、オールスター家族対抗歌合戦の
話題を書きましたが、バンドマスターを務めた
「ダン池田とニューブリード」が演奏し
ダン池田さんは、審査員も務めてましたねっ
他にも・・・「夜のヒットスタジオ」をはじめとした
数多くの歌謡番組全盛期を支えました。
ダン池田(池田 啓助)さんのダンは・・・
高校時代に、好きな女子と手を繋ぎたいがために
フォークダンスを開催し、「ダンス」と「啓助」をつなげた「ダン助」という
あだ名がついたことに由来、この時期・・・
ブラスバンド部を自らが中心となって創立しており、
在籍メンバーには、映画音楽で知られる、佐藤勝さんや
森田公一さんが、同級生です。
1955年に上京、中央大学に入学し、在学中から、ラテンバンドの
トランペット奏者としてプロミュージシャンとしての活動を開始。
1963年には若干27歳にして独立し
「ダン池田とアフロキューバンド」を創設。
このバンドを母体に、1969年結成された
ジャズのビッグバンドが・・・「ダン池田とニューブリード」
「夜のヒットスタジオ」がカラー放送へと切り替わると同時に
番組専属の伴奏バンドとして抜擢され、1972年からは通算13回にわたり
「NHK紅白歌合戦」の紅組演奏担当に抜擢されるなど
歌謡曲の黄金期を支え、そのキャラクターの軽妙さもあり、
単なる一指揮者・バンマスという立場を超えて
タレントとしても活躍ししましたが・・・
後年・・・芸能界暴露本のハシリともいえる
『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』を出版・・・文中での
実名批判を掲載したことから、人気歌手・タレントを数多く抱えている
大手のプロダクションや放送局各局からは強い反発を受け・・・
一瞬にして表舞台から姿を消すこととなり
あれだけの名声を誇ったバンマスにしては何とも
淋しい晩年となってしまいました・・・
「ダン池田とニューブリード」に在籍していた方の
お一人に・・・
ドラマーの大石恒夫さんが、居られます・・・
大石さんと言えば・・・山口百恵さんや・・・
初期の河合奈保子さんを支えたバックバンド
「 大石恒夫とザ・ムスタッシュ」のリーダーですねっ♪
1981年10月に、河合奈保子さんの
シングルメドレーを・・・
バック・コーラス「マキシム」の方々とリリースしています。
B面は・・・奈保子さんへの応援歌的な
オリジナル・ソング「愛する君へ」が収録されていますが
このようなシングルがリリースされるケースは珍しく、
奈保子さんとバックバンドの関係の良さが伺えますねっ♪
この2曲は・・・2009年にリリースされたCD-BOX
「Naoko Live Premium」の「貴重音源集」に初
めてCDとして収録されています。
という事で・・・本日の奈保子さん動画は・・・
ダン池田さんが、コンガで熱演・・・「夏のヒロイン」
奈保子さんとの音合わせ風景
「スマイル・フォー・ミー」と・・・
「唇のプライバシー」
そして・・・
マキシム&ザ・ムスタッシュで・・・「NAOKO SENSATION」を
Posted at 2020/04/12 15:12:00 | |
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河合奈保子さん | 音楽/映画/テレビ