1981年10月5日 PM:4:20頃
その事故は・・・
起こってしまいました
場所は、東京・渋谷のNHKホール
『レッツゴーヤング』のカメラ・リハーサル中
フロアのワックスが効き過ぎの床と
近視(0.08)の河合奈保子さんには
解り辛いステージのセリとガラスに囲まれた舞台装置
さらに、当日の舞台衣装の一つ
ステージシューズが、その日に下ろした
ばかりだった等の要因が重なり
セットのソファーに 駆け寄る際に4メートルの深さの
セリに転落し大怪我をしてしまいます。
「第一腰椎圧迫骨折」、もしかしたら
後々まで、麻痺も残るかも知れなかったような大事故
奈保子さんは、精密検査の為、病院へ緊急入院したことから
当日に出演予定であった 『ザ・トップテン』で
速報が伝えられ、番組内で歌うはずだった
荒井由実さんの「魔法の鏡」は、
ピンチヒッターで、松田聖子さんが担当しました。
精密検査の後、奈保子さんは、寝たきりの生活を送ることとなり
43日にも及ぶ入院生活と長期療養生活となります。
週刊誌などで大きく報道されたこともあり
ファンを心配させない為に
当時の、「奈保子しんぶん」等では
持ち前の性格と細やかな気遣いから
努めて明るく書かれていますが・・・
不慮の事故による入院生活にも関わらず
大好きな歌の世界での仕事に対する
責任感が人一倍強い奈保子さんは
特に、予定していたコンサートが
行えなかった事に対し
大変、気に病んでいた事もあり
自身のケガよりも、「ごめんなさい、ごめんなさい‥‥」と
仕事に穴を空けることに対しての謝罪を
スタッフに繰り返していたそうです・・・
この事故の経緯については
ワニブックスより1983年1月に出版された
奈保子さんご自身のエッセイ「わたぼうし翔んだ 」や
「NAOKO FAN MEETING」再会の夏 2016|COLUMN 内でも
第2回 元気少女に訪れた試練が、彼女をプロフェッショナルに成長させた
で詳しく紹介されており
その後、奈保子さん自身が自分の事
周りの人達との関わりについて見つめ直すきっかけになった事も
知ることが出来ます。
そして・・・本日、11月17日は・・・
この転落事故以来、
長期入院、療養していた奈保子さんが、
無事退院した日なのです。
退院後、奈保子さんは・・・
11月20日から、山梨県の桃の木温泉へ
仕事復帰へ向けたリハビリへ向かいますが
人気アイドルの奈保子さんには、休む間は与えられません
この時も、いくつかの雑誌取材を
兼ねてというもので、療養中であるにも関わらず
多くの取材をこなし、風邪をひくなどの体調不良に見舞われます
療養中なのに・・・TV出演まで行うなんて
今では、考えられません・・・
入院中の期間も
絶対安静の身なのに、病院を抜け出して
当時のアイドルの「3カ月に1枚のシングル」という
ローテーションを守るため、
激痛をこらえて新曲のレコーディングに
向かったことさえあったようです。
そんな、完全復帰に向けて努力している
奈保子さんなのに、この時期先行される
年末の紅白歌合戦の出場に関して
一部のマスコミが、「事故と引き替えに・・・」等と
本当に裏を取ったのか解らない
辛辣な報道が流れ
「そんなうわさがあるなんて、まったく信じられないことでした。
まるで、背中から水を浴びせられたような気分。ひどいショックでした。
一年間、一生けん命にがんばってきて、紅白への出場を心待ちにしていただけに、
くやしくて涙がとまりませんでした。十八歳の私にとっては、心の中を土足で踏みにじられたようなきもちでした。」
と・・・
デビュー以来がむしゃらに活動を続けてきた
奈保子さんにとって非常に心を痛める出来事があったことも
「わたぼうし翔んだ 」の中で語られていて
未だに読んでいる当方も胸が痛くなります。
そんな、奈保子さんの復帰は、
1981年11月30日に夜のヒットスタジオ
コルセットをしながら歌っていた「ラブレター」
河合奈保子ラブレター- 视频中心- 抓贴吧分享社区!
「泣くと歌が歌えなくなるから」とデビュー当初から
涙を見せないアイドルとして知られている奈保子さん
この時も、歌える喜びと多くの声援を受けて
声をつまらせながらも途中からは見事‼
明るい笑顔で締めくくるのでありました(^^♪
本当に、一生懸命で・・・強い人です。。。。
あなたのファンでよかった‼
いつの日か素敵な歌声を届けてください・・・
Posted at 2016/11/17 01:29:17 | |
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