7月最終日の土曜日です。
東京オリンピックが開幕し、
日々選手達の活躍が報道される一方で・・・
選手達へのSNSを通じた誹謗中傷の問題が
日々深刻化していますね・・・
オリンピックに限らず、昨今SNSの誹謗中傷は
日本においても大きな社会問題となっており
嫌なニュースです。。。。
今回・・・紆余曲折があっての開催となりましたが
参加している選手たちは、開催が1年延期され、
コロナ禍の中で思うようにならない状況下で、
ひたむきに練習を重ね、鍛錬をしてきました。
オリンピックは・・・平和の祭典と言われています。
誰も幸せにならない誹謗中傷をSNSに書き込むより、
その鬱憤を頑張っている選手へのエールに変えて応援したいですね!
さて・・・当方は音楽ジャンルを問わず
ランダムに色々と楽しむ事が多いのですが・・・
本日は・・・こんな音源を出してみました。
1984年ロサンゼルス・オリンピックの時に購入した
ロサンゼルスオリンピック公式アルバム。
当時のアメリカの音楽シーンを代表する豪華アーティストが
オリンピックの公式使用曲を手がけるという前代未聞のアルバムで
ある意味、現在の商業主義に繋がる五輪記念グッズとも言えますね
★参加アーティスト
フェリックス・スラトキン、ラヴァーボーイ、ジョルジオ・モローダー、
ボブ・ジェームス、クリストファー・クロス、TOTO、ジョン・ウイリアムス、
クインシー・ジョーンズ、ビル・コンティ、フォリナー、ハービー・ハンコック、フィリップ・グラス
音楽とは、不思議なもので・・・・
ジョン・ウイリアムスの「オリンピック・ファンファーレを聴くと
あの頃に・・・タイムスリップしてしまいます♪
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この・・・ロス五輪が開催された1984年
公式アルバム参加アーティストTOTOのメンバーと
L.A.で初の海外録音に挑んだ、河合奈保子さん
この頃から、アルバム制作の現場にも積極的に参加する事となり
その後の飛躍に大きな影響を及ぼす渡米となりました。
しかし・・・
MVや写真集の撮影を兼ねた日程は・・・かなりの強行軍
デビュー5周年の時期とも重なった1984年の奈保子さんには
オリンピック前夜のL.A.のお祭りムードを味わう余裕は・・・
皆無だったでしょうねっ・・・
そんな・・・7月31日は・・・
2005年11月の逝去された歌手 本田美奈子さんの誕生日
いつもTwitterで、河合奈保子さんの素敵な画像を提供してくれている
本田美奈子さんファンの
さむさんさん (@samusan1020) / Twitter の呼びかけもありましたので
さむさんさんはTwitterを使っています 「河合奈保子さん誕生日おめでとうございます🎉✨😆✨🎊 ファンの皆さんおめでとうございます🎉✨😆✨🎊 ちなみに来週の7月31日は本田美奈子さんの誕生日なので一緒に祝って頂けると、幸いです😊 #河合奈保子 #河合奈保子誕生祭 #河合奈保子誕生祭2021 https://t.co/gwDYHB65VR」 / Twitter
当方も、本田美奈子さんのLD鑑賞をしつつ
細やかにお祝いしたいと思います。
1967年生まれなので、在命であれば今年で54歳になる
本田美奈子さんは・・・
1985年「殺意のバカンス」で、アイドル歌手としてデビューした後
河合奈保子さんとは、タイプは異なりますがアイドル時代からの歌唱力を
活かしクラシックから演歌まで器用に声を変えて歌うことができ、
ミュージカル女優として活躍した事は・・・多くの方が知るところで
逝去後のに発売されたアルバム「ETERNAL HARMONY」では、
クラシックソプラノ歌手として成長した彼女の片鱗を感じることが出来ます。
そんな、本田美奈子さんが敬愛するクイーンのブライアン・メイに
ラブコールを送り曲づくりを依頼しロンドンでのレコーディングが
行われた楽曲が・・・・
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「CRAZY NIGHTS」と
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「GOLDEN DAYS」の2曲
レーベルが同じEMIという縁もありますが、レコーディングが行われる
前年1985年にリオデジャネイロでのライブにおいて
2日で観客動員数60万人という途方もない記録を打ち立た
人気の絶頂期のクイーンのブライアン・メイが手掛けたという事は
ファン以外の人にとっても、驚き以外の何物でもなかった事でした。
彼女の突然の旅立ちに際して・・・ブライアン・メイは
I have been trying to process the sad news in my mind. My dear friend Minako died, and so young. She was such a bright, joyful thing ...so full of energy and smiles.
(今僕はこの悲しい知らせをどうにか受け入れようとしているところだ。僕の大切な友達、本田美奈子がなくなった。あまりにも若くして。彼女はなんて輝いて喜びに満ちた存在だっただろう。生命力と笑顔に溢れていた。)
I don't think I will be able to listen to Golden Days for a while. The memory of recording with her is so warm and strong, though it was, I guess, a long time ago.
(僕はしばらく「Golden Days」を聴くことができないだろう。彼女とレコーディングをした思い出は、たとえ昔のことであったとしても、とても強くて暖かい。)
Minako was a little angel. Sometimes the world is such a sad place. I will be praying that her bright spirit is inhabiting a sunnier place.
(美奈子は小さな天使だった。世界はときどき、こんなにも悲しい場所になる。僕は彼女の輝ける魂が光あふれるところにあるよう祈っている。)
と・・・発言、
アルバム「ETERNAL HARMONY」では・・・
自らのヴォーカルでサポートした「アメイジング・グレイス」が収録されております。
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彼女自身が言っているように、ソプラノ歌手としての本田美奈子.は
まさに出発したばかりだったので残念という気持ちが先行してしまいますが
残された録音と映像の中で、いつまでも生き続け・・・
そして・・・これからも新しいファンを生んでいく事でしょう。
という事で・・・本日の奈保子さん動画は
本田美奈子さんとの共演で
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ミュージックフェア
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レッゴーヤング
河合奈保子さん初めての海外録音となった
アルバム「DAYDREAM COAST」より
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「 SECOND NATURE もうひとりの私に」
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「LIVE INSIDE YOUR LOVE あの夏をもう一度」
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「LOVE ASSISTANT-ひとりで泣かないで-」を・・・
ファンの熱い想いが、ついに結実!
1980年代に、アイドル~シンガーソングライターとして活躍した河合奈保子さん。
1981年におきたステージからの転落事故による入院、療養生活中に綴った心の記録『わたぼうし翔んだ』。
復刊リクエストに多数寄せられた熱い投票(累計288票/2021年6月10日時点)から、2021年夏、新装版として復刊が決定!
可愛らしさと美しさ、歌唱力の高さ、飾らずに優しく気さくで誠実であり続けた河合奈保子さん。
そのデビューから1年余りの1981年10月5日。
18歳のこの日に起きた、リハーサル中のステージからの転落事故により、歌手活動の一時停止を余儀なくされました。
その後、1983年5月に出版された『わたぼうし翔んだ』には、約2ヵ月にも及んだ入院・療養生活中の出来事、仕事への迷い、葛藤や心の動き、10代女性としての思想や感情までもが、ご自身の手による瑞々しい筆致で綴られています。
タイトルにもある「わたぼうし」の由来は、転落事故により病院のベッドで寝たきりになった時に思い出した、中学時代に観た「わたぼうしコンサート」。
もちろん、本書の中にも、このコンサートの様子が細やかに書きとめられています。
転落事故後の心境、療養期間に振り返ったデビューからの出来事、ファンの方への思い、復帰作でもある第7弾シングル「ラブレター」の思い出、コルセットをつけたまま敢行した復帰コンサート… などが綴られた本書は、河合奈保子さんの「歌」への熱い思い、「歌」に対する意識の高まりなどとともに、その後も多数生まれていった「名曲」へとつながっていく重要なポイントにもなっているといえるでしょう。
今回の新装版復刊にあたって、当時の通称・俗称や文体なども可能な限りそのまま掲載し、執筆当時のリアルな本人の言葉や心情がそのまま伝わるようつとめました。また、旧版発行時の装丁にも用いられた、河合奈保子さんの実妹さんが描いたカバーイラスト、本文カットなどもきれいに修復して新たな装丁に用います。
旧版の雰囲気を残しつつも手に取りやすく、読みやすい仕様でお届けします。
当時のファンからの未だ衰えることのない人気はもちろんのこと、YouTube世代の昭和歌謡ファンの間でも再び注目度が上がっている河合奈保子さん。
“アイドル”から“アーティスト”へと、類い稀な変容を遂げたその人となりを知るには、最適な一冊です。
38年の時を経てよみがえる本書を、ぜひこの機会にお手に取ってお楽しみください。
『新装版 わたぼうし翔んだ -奈保子の闘病スケッチ-(河合奈保子)』 販売ページ