
1月25日に、フォードが2016年末までに日本の全ての事業から撤退すると発表しました。
フォードは撤退の理由について、「収益性確保に向けた合理的な道筋が立たず、投資に対して十分な利益は見込めないと判断した」と説明した。撤退後も、アフターサービスや部品の交換、保証サービスなどには応じる。業務は他社に委託する、としています。
フォードといえば、20世紀初めの自動車黎明期時代に自動車王ヘンリー・フォードが設立し、1908年には、

T型フォードで流れ作業体制を確立して1500万台以上という大量生産を成し遂げ、アメリカのビッグスリーのひとつとして今なお操業を続けています。
日本では、設立直後から輸出されて1923年関東大震災後の輸送手段としてのバス用にT型フォードベースのシャーシーを以って応え、1926年には横浜に日本フォードの生産工場を建設し、1940年に太平洋戦争で政府に操業停止されるまでT型や後継車のA型フォードをノックダウン生産しました。
戦後の1964年には、

小型セダンファルコンのシャーシーをベースにした、2ドアハードトップ/コンバーチブルのマスタングを発売して若者に大人気を博し、スポーツカーよりも廉価で購入しやすい「スペシャルティカー」とうジャンルを創設。シボレー・カマロや日本の初代セリカやギャラン・GTOに多大な影響を与えたのは、ご存知の方も多いでしょう。
1985年には、

FWDセダン/ワゴンのトーラスを発売。アメリカ市場に進出したカムリやアコードに対抗してよく善戦しました。ワゴンは日本でも受けて結構売れました。
フォードはヨーロッパにも戦前から生産拠点を設けていましたが、戦後はイギリスフォードやドイツフォードはアメリカとは異なる独自のモデル(コルチナやグラナダやカプリ等)を生産していました。1980年代にヨーロッパの量販セダンはシエラに統一されて、1994年には、

後継車のモンデオにモデルチェンジ。モンデオの1.8Lセダンは200万円以下で発売されて、「日本のフォルクスワーゲン・ゴルフはなぜ高いか」という比較広告を新聞に出すなど積極的な販売策が取られました。
また、フォードは1979年にマツダと資本提携して、小型車の開発委託や1982年からディーラーのオートラマを立ち上げてフォード車とマツダのフォードブランドOEM車を販売。
OEM車は、レーザー(ファミリア)、テルスター/テルスターⅡ(カペラ/クロノス)、スペクトロン(ボンゴ)、J80/J100(ボンゴ/ブローニィ)、フリーダ(ボンゴ・フレンディ)、イクシオン(プレマシー)、エスケープ(トリビュート)等がありましたが、

最も売れたのは、オートラマ専売車の初代フェスティバでしょう。
ちょうど初代ホンダ・シティのように、背を高くした3ドアコンパクトハッチバックで国産車初の電動キャンバストップが売りでした。
フェスティバは当時韓国にあった起亜自動車でも生産されて、5ドアハッチバックのフェスティバ5と、画像の4ドアセダンのフェスティバβが少数輸入されて、オートラマで販売されました。日本仕様と違って5とβは共に左ハンドルです。
その後ディラー多チャンネル化に失敗して危機に陥ったマツダを救うため役員を送り込んだりしましたが、2000年以降はマツダOEM車販売を止めて、アメリカ/ヨーロッパフォード車のみとして、オートラマからフォードジャパンに名前を変更したものの、フォード本体の経営が揺らいでマツダの資本を引き下げて2015年には完全に提携解消。その間に国内販売も減少して、今回の撤退発表になりました。
フォードの昨年に国内で売った車は4968台で、輸入車全体に占めるシェアは1.51%です。1996年には2万台以上なので1/4。会社規模からすれば極少と言わざるを得ません。対して中国では2014年に110万台以上を販売。この台数の差から、誰だって中国市場に経営資源を集中した方が企業のためになると思うでしょう。
フォード車の販売がじり貧になったのは、販売する車種にも問題があったと個人的には思います。
フィエスタやクーガは単体では悪くないが、ポロやアウディQ3と比較すれば分が悪く、同じ価格帯ならフォードの指名買いをする理由は見当たりません。(余談だがフィエスタは3代目デミオとエンジンルーム骨格がほぼ同じだった)
また、リンカーン・ナビゲーターが出た当初、並行輸入でかなりの台数が入って来たがなぜか正規輸入せず、10年後にやっとディーラー販売が始まった頃にブームが終わっていたとかもありました。
マスタングも先代が発売された頃に力を入れれば、マッスルカ―フリークにもっとアピールできたのではなかったでしょうか。
100年以上続いた国内フォード販売も今年で終わり、今後フォード車は並行輸入でしか手に入りません。サービスは継続するらしいけど、マツダは資本提携解消したから可能性は低そうだし、どの業者がやるのでしょうか。
オペルの時もそうだったけれど、フォードのような大手があっさり撤退してするようでは輸入車には長期に渡って安心して乗れませんね。
トップ画像は、初代フィエスタのカタログです。
当時何とホンダがHISCO(ホンダ インター ナショナル セールス)という関連会社でホンダの中古車販売とフォード・フィエスタの新車販売をしていて岐阜にも営業所がありました。入手したのは1978年です。まだ高校生で、自転車で乗り付けて堂々とカタログを下さいと言ってもらいました。
このころは輸入車に対して夢があったなあ、なんて思いますね。
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自動車見聞録 | クルマ
Posted at
2016/01/28 01:20:25