
さて50年前のビートルズの日本公演ですが、1966年6月30日夜、7月1日昼と夜、7月2日昼と夜の計5回のコンサートが日本武道館で行われました。
曲目
1.Rock And Roll Music
2.She's A Woman
3.If I Needed Someone
4.Day Tripper
5.Baby's In Black
6.I Feel Fine
7.Yesterday
8.I Wanna Be Your Man
9.Nowhere Man
10.Paperback Writer
11.I'm Down
全公演同じ
その中で、7月1日の昼の公演と到着後のエピソードをまとめたTV番組が、同日夜に日本テレビで放送されました。
2日遅れの7月3日、名古屋のCBCが放送した同番組を私はTVで見た記憶があります。といっても、うろ覚えですが。何せまだ5歳なので、その直後に放送開始されたウルトラマンはしっかり覚えていますけどね。
テーマソングはミスタームーンライトです。ミスタームーンライトは前奏無しでいきなりタイトルである「Mr.!Moooon Light!」というジョン・レノンの叫びによって始まる曲ですが、羽田空港を出発したビートルズを乗せたキャデラックが、その2年前に出来た首都高速道路をゆったりと走行して宿舎であるヒルトンホテルに向かうシーンは、いかにも都会という強い印象を受けます。
しかし50年前なので、うちにはカラーTVはあったが、さすがにビデオデッキは無くて(我が家のカラーTV導入は1964年、ビデオデッキは1979年)、TV番組を録画することが出来ませんでした。もっとも東京ではカラー放送だったが、CBCでは白黒放送でした。当時のTV番組はまだカラー放送が少なく、我が家のカラーTVにはカラー放送だと赤く点灯するインジケーターが付いていたのを覚えています。なので私のうろ覚えの記憶も白黒映像です。
ビートルズライブ音源のアルバム(まだCDではなくてアナログレコード盤)は発売していないので、当然日本公演のレコードはありません。
ところが無いはずのビートルズのライブ音源レコードは、いくつか存在します。
いわゆる海賊盤、英語でBootlegといわれるものです。著作権など関係なく小規模な業者が販売しているもので、ビートルズではライブ音源、未発表曲、練習テイク、多数の海賊盤が存在します。
正規物ではないので本来好ましいものではありませんが、内容は面白いものがあります。難点は、ジャケットがモノクロ写真とか物によってはタイトルと曲名のみとか更にはレコードレーベルが真っ白とか無記入とかで味気ないこと、ライブ音源だと女の子のキャーキャー声で何も聞こえなかったり、スタジオ録音でも雑音だらけで演奏が聞こえないなど音質が極めて悪いのが多いことです。
私がビートルズを聴きだした1976年頃、我が岐阜にも小さいながら輸入レコード専門店が1軒あってビートルズの海賊盤も置いてありました。海賊盤は先に書いたようにハズレが多くあるのですが、少ない当たりのレコードは、

このfive nights in a judo arenaです。
judo arenaとはもちろん武道館です。つまり日本公演のライブ音源が聴けるのです。前述の7月1日昼ではなくて6月30日の録音ですが、正規物と遜色のない非常によい音質、しかもジャケットはカラー印刷と、雑な作りばかりの海賊盤の中では出色の出来栄えです。
ビートルズは1962年にメジャーデビューして以降、世界各地でコンサートツアーを行いましたが、1964年にアメリカでの人気爆発後は観客動員数を確保するために大規模な施設でのコンサートが主になりました。野球場でのコンサートもビートルズが初めてです。しかし数万人に充分な演奏を聴かせるPAの出力や技術が未熟で、観客の大歓声の合間に演奏が聞こえるという具合。また、当時はステージで演奏者に演奏音をフィードバックするモニタースピーカーの設置などが一般的ではなくて、なおかつ大歓声のため自分たちの演奏音が聞こえず、ビートルズのライブ演奏は次第に下手になって行きました。
偉大な彼らに下手というのは失礼ですが、6月30日の3曲目に演奏されたIf I Needed Someone(邦題 恋をするなら)でジョージハリソンは明らかに音を外して歌っています。そのため、特に初日のコンサートを観た人たちからは、
「思ったより上手くなかった」
という声が多く出たそうです。
それまで世界各地で行われたビートルズの公演では、観客の女性が失神したり、興奮のあまりステージに駆け上がってコンサートが中断されるなど多くの問題が起きていました。そのため日本公演では厳重な警備と、観客には立ち上がらず着座したままを強制するなどの対策が取られて(司会のE.H.エリックが観客に着席を要請するシーンがある)メンバー自身「割合静かな雰囲気」という中で公演は行われました。(しかしレコードを聴くと観客の歓声はかなり大きい)
当時ビートルズは前述のようなトラブルやハードスケジュールのコンサートツアーにうんざりしていて、日本公演もあまり乗り気ではなかったようです。ところが割合静かな雰囲気は、それまで聞こえなかった自分たちの演奏が聞こえるという事態になって、メンバーはその出来の悪さに愕然として、7月1日以降のコンサートは少々気合を入れて臨んだと伝えられています。
最近You Tubeでは、6月30日と7月1日昼の演奏どちらも聴くことが出来ますが、聴き比べると7月1日の方が明らかに演奏の質が上と感じます。それが証拠ですね。
特に大きな会場では、モニタースピーカーが足元から音を返してくれないと、音程が狂ったり、残響や反響で曲の節々での同期が乱れたりすることは、私もミュージシャンのはしくれなのでよく分かります。
ま、私の場合大きな会場といっても、自分が立ったステージでは岐阜市民文化センターが最大の会場(500人収容なのにわずか観客20人ほどでライブをやった)なので、あまり大きなことは言えませんがね。
現在では、

ライブや音楽番組では、ミュージシャンが片耳にインイヤーモニターというイヤホンを装着して演奏してのをよく見ます。
足元のモニタースピーカーでは演奏者が動いてしまうと音が聞こえなくなるので、ワイヤレスで演奏音を送信して演奏者が飛んだり走り回ってもイヤホンで聞くことが出来ます。
日本でライブで積極的にヘッドホンやイヤホンを使用したのは、

イエローマジックオーケストラ(YMO)が最初ではないかと思います。(違っていたらごめんなさい)
YMOは演奏音のフィードバックだけではなくて、正確なリズムキープのために、コンピューターで作成したクリック音(キッコッカッコという)と演奏音を混ぜて送り、クリック音に合わせて演奏していました。昔は歌の下手なアイドルが多かったのに、今では姿を消したのは、カラオケの普及とインイヤーモニターを使用の影響が大きいと思います。
5回の日本公演は大きな問題もなく終わり、ビートルズは次の公演地であるフィリピンに行きました。そこで当時のマルコス大統領夫人イメルダ主催の夕食会の招待を断った(実際は連絡の行き違いで案内が届いていなかった)ために出国時にトラブルに巻き込まれたり、その次に行ったアメリカ公演ではジョン・レノンの発言に端を発したビートルズ排斥運動が起きたため、1966年8月アメリカのサンフランシスコの公演を最後にビートルズはコンサート活動を停止して、その後は観客を前に演奏することはありませんでした。
後から思えばコンサート活動停止の直前に日本公演が行われたのは、我々日本のファンにとっては幸運だったのではないでしょうか。
ジョン・レノンは1980年12月に凶弾に倒れ、ジョージ・ハリソンは2001年11月にガンにて逝去。50年を経た現在、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターが存命です。ポールは74歳になっても積極的にコンサートを行い、昨年も来日したのは記憶に新しいところです。リンゴも来日公演やポールのコンサートに飛び入りするなどして健在を示しています。
4人揃っての再結成は無理ですが、インターネットの発達で昔は見れなかった貴重な映像や、年齢を感じさせないポール・マッカートニーの近年のステージ演奏を楽しむことが出来るなんて便利になったなと感じます。
話が前後しますが、私がビートルズを知ったのは、

小学館1974年刊のジャンルジャポニカ(万有百科大事典)です。
第3巻音楽・演劇に「ロックミュージックを広めたバンド」としてビートルズがカラー写真と共に収録されています。1970年代の百科事典に、数年前まで現役で活動していたビートルズがもう載っていたのは、それだけ社会的影響が大きかったことが要因でしょう。
確かに今聴くと、あちこちに稚拙な部分が無いとは言えません。しかし個人的には、ロックバンドでライブでの演奏は、アルバムでの演奏の60%-70%のパフォーマンスが出せれば上等だと思います。50年前数々の業績を作ったビートルズは、やはり偉大であったことは動かしようがない事実ですね。
※文中敬称略。
トップ画像はギター教則本[Beatles HIT ALBUM」1977年シンコ―ミュージック出版社刊より、1966年6月30日If I Needed Someoneの演奏シーンです。
レコードの写真等はインターネット上に掲載されている物をお借りしました。