
好きで選んだ仕事であったが、20年勤めて今年になって退職。エキスパートを目指して拘って続けてきた仕事ではあったが、いつ頃からか気が付くと生活のための手段としてだけになってしまっていた。
今は不景気で仕事が無い時代。様々な業種のエキスパートが職を求めて右往左往している。
そんな時にどうして新しい職がみつかるだろうか。それでもあえて無謀で自分勝手な行動をとった訳であるが、資格を捨てることに私自身より周囲の方が抵抗し反発をみせている。
仕事ってなんだろう。生きるってなんだろう。
人生の折り返しを過ぎたところで自分に問いかけてみた。人は人のために、自分のできる範囲のことで貢献することが仕事の原点であるとこんな時代でも綺麗事を言っている自分がいる。
どんな仕事でもいいじゃないか。周りや社会の評価を気にして、心身のキャパシティーを超えたところで仕事をしていても、決して相手にも自分にもいい結果は残らないと思う。それでも生きるためには仕事をしなければならない。いい結果を求めて・・・。
では、いい結果求める形とは何か。・・・見える筈はない。生きぬくことで皆精いっぱいだから。
一つの職を全うできる人間は強い人間だと思う。一方で、自分自身を偽ってでも、守るべきもののために大人に徹しているんだろうなんて歪んだ見方をしている自分もいる。
大人の社会って一体?人の陰口を言ってまで自分を顕示しても評価は下がる一方なのに、それでも誹謗や中傷は止むことはなく、ヒエラルキー(序列)を重んじ、個人(個性)を受け入れずむしろ蔑むような、社会人となって20年以上仕事してきて、悲しいかなそんなネガティブなイメージしか湧いてこない。
辞めるまでは誰にも負けない、負けてたまるかと我武者羅に突っ張り続けて生きてきた。間違ったプライドで見事なまでに「俺様」となってしまっていた訳であるが、振り返れば自分の弱さを隠すための唯一の手段だったように思える。
私は弱い子供みたいな人間だということを受容することにした。強くなるために。
本当の自分探しはまだまだこれからであるが、辞めてからの生活は劇的に変化したことは言うまでもないが、経済的には↓でも、人的には不思議な(縁?)かつ良き偶然(縁!)に恵まれ、そして理解者である最高の仲間(老若男女・職業を問わず幅広く)より、これからの示唆や支持を沢山得られるようになっていることも事実。
人は人なしでは生きていけないっとことを、今更ではあるが本当にそう実感している。
これを追い風と勘違いしてはやがて間違いなく急降下してしまうだろうから、いいことが続いても有頂天になることなく、ストイックに、ひたすらストイックに。
仕事とは、生きるとはという探究をし続け、原点に回帰し誠実に貢献することを忘れなければ、いつの日かきっと自分の本当の役割が見つかると、そう信じて長生きしたい。
かっこ悪いオヤジにゃならねぇぜ!
Posted at 2010/12/23 01:15:44 | |
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