
「CT200h 東北を往く!」シリーズ第二弾です。
土曜日の朝に秋田県の尾去沢鉱山について撮影を堪能した後、お昼前には次の目的地「松尾鉱山」を目指します。
※画質を優先して一部フォト蔵からリンクしています。
画像が表示されない場合は時間を変えてアクセスしてみてください。
鹿角から松尾鉱山までは「八幡平アスピーテライン」を抜ける山越えルート。
標高1600mまで一気に駆け上がります。
さすがに燃費を気にしてエコモードで登る気にもならず、メーターを赤くして一気に突っ走りました^^
やっぱりCTは燃費だけじゃなくて、踏んでも気持ちいい車なんだなぁと。
荷室周りの防音効果のお陰で、純正のマフラー音もあまり気にならず、気持よく登ることができました^^
しかしアスピーテラインではまさかの豪雨。
雹になりそうなくらいの大粒で、せっかくの絶景もまったく見えず…。
松尾鉱山の撮影も難しいか…と心配するかとおもいきや、何故か天気は大丈夫だろうと確信してました。
晴れ男なので(笑)
アスピーテラインの最高地点を超え、目的地の松尾鉱山、緑ヶ丘アパートが近づいてくる頃にはなんと雨も上がり始めました!
やっぱりねー^^
そして、目的地が見えてきた時には、ただただ感動。
最高地点を超えて山を下りはじめた先に広がる高原に、それは佇んでいました。
↑クリックで拡大します。ぜひ大きい写真で見ていただきたいです。
松尾鉱山、緑ヶ丘アパートです。
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まさに、雲の上の楽園。
先ほどまでの大雨も、嘘のように晴れ間が見えてきました。
まるで竜の巣を抜けたあとに出てくるラピュタのよう。
ワンダーJAPANで見ていた憧れの景色。
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以前、
廃墟ちゃんねるというサイトでこちらの物件を知って以来、ずっと訪れたかった場所。
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来れて良かった。
そして、晴れて良かった。
松尾鉱山とは…
一時は日本の硫黄生産の30%、黄鉄鉱の15%を占め、東洋一の産出量を誇った松尾鉱山。
しかし、高度成長期になると硫黄の需要減や輸入の増加で採算が悪化。
さらに1960年代後半、石油精製工場において脱硫装置の設置が義務付けられたことで、脱硫工程の副生成物として得られる硫黄の生産が活発化し、硫黄鉱石の需要は完全になくなっていった。
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生産コストの低減を図るために露天掘りへの転換も進められたが、1969年(昭和44年)に会社更生法を申請して倒産、全従業員が解雇された。
黄鉄鉱に絞った新会社が設立されたが、これも1972年(昭和47年)に鉱業権を放棄して倒産し、完全な閉山になったとのこと。
CT200hを停めて、しばし写真撮影。
松尾鉱山は、その採掘量ばかりではなく、福利厚生が充実していたことも大きな特徴だったそうだ。
鉄道、学校、消防、警察、郵便局、総合病院、映画館から理髪店に至るまでが揃い、この標高1000メートルという厳しい環境にも関わらずこの街は繁栄していたらしい。
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1952年、松尾鉱山 緑ヶ丘アパートは大手ゼネコンの共同建設により誕生。
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鉄筋コンクリート4階建て、当時としては珍しい暖房、水洗トイレ完備という近代設備が揃った、まさに「雲の上の楽園」だったわけだ。
ここまでは柵もなく車で入ってこれます。
ただし、「事故があっても一切責任は負いかねます」という看板があるのだが…。
私の撮影中も、同じく見物の方、この先の汚染処理施設のトラックや、観光バスまでも通っていました。
多くの廃墟サイトでは、このアパートの内部まで侵入して撮影していますが、とりあえずマナーは守って立ち入ることはしませんでした。
また、多くの人がここを再訪している気持ちがわかります。
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またいつか訪れたいと思う、松尾鉱山でした。
つづく…
Posted at 2012/08/30 20:14:19 | |
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