2月22日は「竹島の日」です。
今年の竹島の日記念式典は新コロ影響のため、例年よりも規模縮小して開催されました。
抗議活動で混乱を呼ぶ韓国活動家は来日しなかったため、市民団体との場外乱闘も起きず、第16回を迎えた竹島の日記念式典は粛々と執り行われました。
先のブログ「
今年も式典行きが決まりました」で既報の通り、今年も2月22日「竹島の日記念式典」に一般参加することになりました。
例年だと一般参加100名のところを、今年は新コロ感染対策のため規模縮小され一般参加35名抽選の狭き門でしたが、運良く当選して今年も奮って参加することになりました。
これで
2017年、
2018年、
2019年、
2020年に続き5年連続での式典参加です。
軽く手抜き洗車をしてから式典会場に向かいます。 とても暖かく良い天気となりました♪
式典会場となる県民会館です。 その隣にある駐車場に愛車を停めました。
意気込んで受付開始時間よりも大幅に早く到着。
例年だと会場ロビーにある竹島グッズの物販販売は今年は新コロ影響のためか中止。
その代わりにすぐ近くにある物産観光館で販売されるという。
で、物産観光館に行ってみる。
この時期限定の竹島コーナー。 例年通り定番の竹島饅頭や日本酒が売られていました。
今年は竹島饅頭は買わずに清酒「竹島」だけをお買い求めすることにしました。
日本人のナショナリズムを呼び起こす清酒「竹島」は国酒とも言える無濾過純米酒です。
今年も厳戒態勢は敷かれていましたが、大きな混乱はありませんでした。
新コロ影響のため抗議活動を行う韓国の活動家は来日せず、市民団体との衝突も無かった。
街宣車も少なめで自分が見たのは1台だけです。 (後でニュースで知ると他にもいたみたい)
竹島資料室に寄ろうとするも、ちょうど知事と内閣府の政務官が来られてるタイミングで中に入れず30分以上の出待ち。
その待ち時間の間は玄関前で関係者の方にビニール袋を手渡されてなだめられる。
ビニール袋の中には竹島の資料、ボールペン、ステッカーが入っていました。
知事と内閣府政務官が出られたので竹島資料室に入れるようになりました。
お目当ては19日から展示してる最近発見された米国海軍の古地図です。
1952年4月のサンフランシスコ平和条約後の1952年10月に米国政府が作製・発行した海図。
鬱陵島はUllung Doと韓国名で、竹島はTake Shimaと日本名で記されている。
この海図では鬱陵島は韓国領、竹島は日本領だと確認できる重要なものです。
竹島資料室では
先月訪問時には品薄だった缶バッジが全種揃って復活していました。
そのうち、まだ持ってなかった缶バッジを一挙3種頂いています。 なお、竹島資料室を出たところでちょうど玄関に元防衛大臣の小野寺さんが来られてビックリしました。
さて、式典が始まるので会場入りします。 検温や荷物検査、厳重な警備を潜り抜けての入場。
新コロ感染対策のため式典参加者は例年の半数で開催されます。 座る席も飛び飛び。
受付で貰った式典の資料です。
第16回目を迎えた竹島の日記念式典が始まる。 登壇者も例年より少なめです。
最近の発言が全国的に注目を集めた県知事さんによる主催者挨拶。
知事に続いては県議会議長の挨拶も。(画像無し)
来賓挨拶。 県が切望する閣僚の出席は今年も見送られて内閣府の政務官が出席となった。
元防衛大臣で自由民主党組織運動本部長の小野寺五典衆議院議員の来賓挨拶。
他に地元出身の議員さんたちの挨拶が続きました。(画像無し)
竹島が属する隠岐町町長の挨拶。
声を震わせての力強いお話には毎年心に響くものがあります。
竹島問題に関する調査研究に功績があった功労者の方たちへの感謝状の贈呈がありました。
その後続いて、竹島の領土権の早期解決を求める特別決議が読まれて式典の第1部は終了。
20分間の休憩を挟んで、第2部は講演会です。
竹島問題の学習と克服をテーマに2つの講演がありました。
ということで、以上で今年の竹島の日記念式典は例年と同じように粛々と執り行われて終了。
竹島が韓国に不法占拠されてから70年近く経ち、いっこうに解決への糸口が見えない状況。
領土問題は国の問題なのに国が動かず県主体で「竹島の日」記念式典を続け、第16回にもなって未だに閣僚の出席も実現していないことについては誠に遺憾砲を打ちたい。
政府主催での「竹島の日」式典の開催、国民世論の啓発や学校教育、国際社会への積極的な情報発信、毅然とした姿勢による外交交渉による竹島の領土権の早期確立を切に願うところです。