はいさーい、ぐすーよー、わんやいびーん(。-∀-)
ちゃーがんじゅー やみせーみ?
(訳:こんにちはー、皆さん、アタスです。お元気ですか?)
さて最終日は移動時間がほとんど。
それは直行便が一便、しかも昼過ぎにしかないから。
更にレンタカー返却は概ね搭乗90分前くらいを目安にしないと渋滞等で遅れてしまう危険性があるから。
しかし、寝坊してフロントコールで気づき( ;∀;)ブワッ
ぬぅおぁあああああ!
やってもーた((( ;゚Д゚)))
昨夜、ちょっと寂しくなり、コンビニでスイーツとつまみと
泡盛で気合い入れ直してシャワーしてみんカラ徘徊しながら寝たのが3時近かった(爆)
前日と変わらないのに完全爆睡((( ;゚Д゚)))
もちろんスマホはアンビリカルケーブル外れたまま。
当人活動停止(爆)
しょうがないので追加で
一時間休憩タイムを!
あれ、どっかのラブな宿泊施設みたいやん(  ̄▽ ̄)
あらまし充電もすんで出撃準備完了!
総員、第一種戦闘配置!
全機発進準備!!
バイキング食いそびれたのは悔やまれるが、体内エネルギー率から換算すると活動限界まで四時間は持つか。
何せ脳内パニックだから笑
予定時間の一時間ロスはしたものの、ほぼミッションは完遂したので移動のみ。
と、時間的に余裕あったのでラストチャンスとばかりに、ダチの職場へ襲来!
しかし、駐車場がなぜかごった返しこれがロスタイムとなる((( ;゚Д゚)))マジッスカ
それでも嘘みたいに勤務中のダチを発見し僅かな会話とお別れをしてきた。
本当色々助かったぜー!
急ぎレンタカーを返却。
搭乗90分前ってあったが、ちょうどよく到着。点検も問題なしでマイクロに乗り込み那覇空港へ。
何か食いたかったが遅れたらかなわんとガマンガマン…
実際搭乗まで小一時間あったんだが笑
フラフラ土産屋見ながらこれが目についたり笑
赤まぁむぅしぃ~(違)
14時ちょいの飛行機にスムーズに搭乗、慣れたもんですな(爆)
帰りも隣は尾根遺産で、そちらに緊張しつつ離陸笑
あっという間の二泊三日だった。
東北へ近づくにつれ雲が厚みをまし、若干の気流の乱れを感じながら17時くらいに仙台空港へ到着。
安堵と寂しさが交錯していた。
那覇と仙台の気温差は実に10℃。
寒いでんがな((( ;゚Д゚)))ガクブル
とりあえず荷物を愛機に納め食欲を満たそうと。
愛機とは実に3日振りの再会である!
エンジンかかるかおそるおそる火入れ笑
無事に起動確認、オールグリーン(。-∀-)
空港内で牛タンと思ったが伊達の牛タン本舗がないことに気づき、とりあえず最後の土産買って急ぎ六丁の目へ!
キタ━━━(゚∀゚)━━━!
うーまーいーぞー((( ;゚Д゚)))←何キャラ?
朝から何も食ってないからそりゃそうだ笑
はっきりいって物足りないがそこはガマンガマン笑
R48関山峠をぶっ飛ば………マターリ流して( ̄▽ ̄;)
天童着!
いつものコンビニで晩酌用にこれ他買ったりして(爆)
どんだけ沖縄ロス(  ̄▽ ̄)
手持ちの土産だけ速攻で渡してきつつやっと帰宅、お疲れアタス!
ハイドラ見たら(爆)
晩ごはんはもちろん普通にしっかり笑
しかし、片付けしたりブログ書いたりしてるうちまさかの寝落ち((( ;゚Д゚)))
夜勤だったので翌朝の心配はなかったが、
ヤバイ、テレビつけっぱだ( ̄▽ ̄;)
そんな感じで目が覚め、テレビを消そうと見た瞬間自分が夢を見ているかの錯覚に陥った……
首里城から黒煙……
一瞬何が起きているか判らない状況。
かつての9.11の旅客機がワールドトレードセンターに突っ込んだ時や、3.11の津波のそれと同じ衝撃を覚えた。
その日朝のニュースが気になり眠れなくなり。
城壁辺りからのぼやであってほしいとか、仮に炎上だとしてもスプリンクラーなどはあるはずだし最小で食い止められないかとか、放火かと思われたが警備もあるから確率的には少ないだろうとかとか、兎に角色々頭の中は祈るような思いで混乱。
運命とは、こうも残酷なものとは。
火元は正殿北側からだったようだ。
ぼや程度では済まず正殿、左右の北殿、南殿が全焼となったのは皆さんの知るところとなった。
ふと思い付いて沖縄に決め、初日にいの一番に首里城へ。
にもかかわらず二日目も首里城。
二回も時間かけてみっちりじっくり見て、そのときの空気、感触、雰囲気を未だについさっきのように明確に思い出される。
なのにもう、あとかたもなく無くなってしまった。
何の運命か導きだったのか、アタスは首里城の最後の勇姿を二度見ることになった。
二度も首里城に呼ばれたような、そんなふうに思わずにはいられない感じだった。
沖縄には数年前ふくめこれで三回行った程度、ウチナーンチュの皆さんからすればアタスの場合ウグシク(首里城)の存在感はまだまだ足元にも及ばないかもしれない。
もはや神のような存在。
各地の名城ももちろん同じ価値観には変わりはないが、観光のメッカであることはもちろん、かつての大火や先の大戦からの復興、それに比例して琉球国と共に復活を遂げてきたまさにうちなーぬまぶい(沖縄魂)そのもの。
首里城はそれだけ特別な存在だった。
しかし、城下町はもとより沖縄県民の首里城への想いは特別なものであったことは改めて証明され、観光資源だけではない沖縄県のアイデンティティそのものだ。
熊本地震で被災した熊本城が先陣きって募金活動を開始、沖縄ゆかりの芸能人、各地はもとより世界、ひいては国でも動きを見せ、なかでも沖縄県も募金をつのればあっという間に億に達した。
首里城は世界においても特別な存在!
先の復刻では建物の外観の色すら解らず手さぐりだったが、今はその心配はない。
職人不足、技法、限定された材料の調達は確かに問題山積してきてはいるが、技術継承の意味で同時に進めようと言う動きもあり、
首里城は失われはしたが、逆に復活の足跡を見学出来るような形にするのもありじゃないかと。
幸い文化財は被害を免れ、遺構は多少の損害はあったが大事には至らず。
火災時、完備された放水銃は熱で近づけず機能を果たせなかった。
隊員の消火活動も、城内の複雑な作りが仇となりホース延ばしも苦労したようで、火点までの距離と坂道が水圧減圧現象を発生し出力低下を招き、更に熱により近づけず火の手も勢いも速くて周りの延焼を食い止める事しかできなかった。
スプリンクラーの設置義務なんたらかんたらで、それが仇になった。
水幕をはるドレンチャーも作動はしたようだが、延焼を食い止める役目ゆえに根本的な消火には至らず。
首里城を彩る朱色の漆も構造的に仕切りが少ないのも、まさか火が広がると言う悪さをするとは誰が予想しただろうか。
しばらくして白川郷でも火災が発生、幸いにして早急な自主消火にあたったため茅葺きの小屋のみで済んだが、可燃性が高い建物であったがゆえ、ある意味首里城の火災のノウハウが生かされた結果だったかもしれない。
復元された首里城、しかし色々な団体のしがらみがまさか防火対策の脆弱性を露呈させていた。
何度も火災で失った首里城、再度復元された暁には是非とも防火対策も強化してほしい。
ふるさと納税からも募金可能なようなので是非とも関わりたいと思う!
今回勤続25周年記念で行った沖縄。
まさか最後の姿を見ることになろうとは思いもしなかったが、東北人ではあるが、自分のなかでの沖縄、首里城のアイデンティティが再度構築されたような思いでいた。
最後に、沖縄と山形の繋り。
記事では、【米沢藩(山形県)最後の藩主・上杉茂憲が明治維新後の1881~83年の沖縄県令在任中に撮影したとみられる首里城の写真が見つかり、山形県の米沢市上杉博物館で展示が始まった。】とある。
数少ない首里城の資料、これからの新たな復活の一端を担ってもらえたらと切に願う。
そしてまたあのお姿を御披露目する時期が来たならば、是非とも訪れたい。
そのころアタスは定年とかかもしれないなぁ(^_^;)
ウグシク復活まで先は長いが、
ちばりよー、うちなー、うちなーんちゅ!!!
いちか、またんちゃーびーさ!
(頑張ろう、沖縄県、沖縄のみなさん!
いつか、また来ます!)
~おしまい~
Posted at 2019/11/15 13:30:39 | |
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