四月二日、信じられないほどの青空だった。
こんな晴れ間は二度と来ない、一生忘れまい。
兎に角躾には厳しかった。
困ったことには利害を求めず何かしら手を貸していた。
裏表が無かった。
親の心、子知らず。
逆もまた然り。
暗黒期のトリガーになったその漢に成り代わり、俺がすべてを救済に導いた。
俺の人生をかけ、究極の孝行を発動させた。
以後立場上逆転になった。
俺は孝行を豪語したりもしてきた。
しかし、漢自らの時間が終焉に近づいた。
いつか来るであろう終焉の時と対峙して思ったのは、孝行し尽くして補完がなされたのか?
物理的経済的な救済は果たしても、見えない欠けた隙間を埋め、互いの不安と残された時を悔いなく過ごしてこそ孝行なのでは?
日々多忙と不規則な生活からの気持ちの起伏とストレスと闘いながら、誰にも何も言うこと無く。
母親がそばにいてやりくりしていたのが一番だったろう。
夜中遅くまで様子見し、睡眠時間は二時間もなかった朝、必死で起きて仕事行く前も様子見ながら話かけた。
始業開始小一時間たっただろうか。
一段落ついて何となく気になりスマホを見た。
自分がどうやって帰ったか記憶が散漫になるくらい動転していたかもしれない。
我が生涯に一片の悔い…きっとまだあっただろう。まだまだ生ききってなかっただろう。
エイプリルフールが過ぎても、これ程までエイプリルフールであってほしいと思ったことはない。
終焉を迎えた時は、漢の子供らの生誕日の狭間、そして歳男だった。
見事な晴れ間のなか、漢泣きに崩れた令和四年四月二日の小春日和の話。
合掌
Posted at 2022/04/03 00:05:39 | |
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