1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどして亡くなる「災害関連死」も含めて、6434人が亡くなった。
神戸市中央区の東遊園地では、犠牲者を追悼する灯籠が「1.17」や「ともに」という文字の形に並べられ、地震が起きた午前5時46分には訪れた人たちが黙とうをささげた。
「ともに」という文字には、世代を超えて阪神・淡路大震災を語り継いでいこうという思いや、元日に起きた能登半島地震の被災者などに寄り添い、助け合おうという思いが込められている。
これより16年後には東日本大震災。
いずれも東日本の半分が甚大な被害と犠牲者を出す未曾有の天災となった。
しかしながら、この教訓から、阪神淡路大震災以降発足したDMAT始め自衛隊、東日本大震災時に〖トモダチ作戦〗を展開した在日米軍が、この度1日に被災した能登半島地震被災地へ向かった。
各地での避難者受け入れや仮設住宅の建設も始まった。
29年かかって復旧は概ね完了したのだろうけど、やはり遺族の心まではまだ復興は完結していないなかでの東日本大震災、熊本地震、そして今回の能登半島地震。
先の震災を教訓にしていろいろな対策が確立されて、各々の絆も再構築されていたが、時間が経てばそれすらも風化して風評被害やら被害をネタにメシウマをしている連中もいたりと、現代なりの闇が露呈されてきた感じもしている。
『災害はスマホやテレビの画面で起きてるんじゃない、被災地で起きているんだ。』
と言うことを思い直さないと、被災地と無事な地域との乖離が大きくなるばかり。
ようやく物理的復旧をなし得た阪神淡路の皆さんが、今度は各地の被災地の支えとなることは、失ないつつある絆が再び勢いづいて復旧が加速することを願わずにはいられない。
頑張ろう、ニッポン!!!
Posted at 2024/01/20 23:08:22 | |
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