この記事は、
ブログを書いている人に質問です!!m(__)m について書いています。
大阪でのご近所つながり
お嬢 @ ~ ~ ~ ~(o^-ェ-)oさんのブログで知りました。
近頃「読み逃げ」なる言葉が使われているようですね。
このサイトをホームとする方々はほとんどの人が「なんじゃそれ?」って思いますよね。
よく読んでみたら
高校生とか若い子達がそういっているようですね。そうだよね?
ま、中にはいい年したオトナも混ざってるのかもしれませんが、真意は私には拾い上げ切れません。
少なくとも私の周りにはそんな人いませんよ。
ここのサイトの方々はほとんど免許も持っている年齢。
社会的にも現役だったりする方がほとんどなので
そのような一方的な責め文句は取るに足らないとお感じでしょう。
コメントしたきゃするし、できない時もあるよって
オトナな意見がほとんどでしょう。
子供は誰かに何かをしてあげる「奉仕精神」よりも
「愛されたい」「かまって欲しい」愛されたい要求の方が得てして多いものです。
だからこの「読み逃げは非常識だ」とのたまうのが
中学生・高校生のお子様だったら
未熟な社会経験からくるひとりよがりなわがままで「子供らしいじゃない」と思えます。
問題はそれが少数派でなく多数だということ。
私が知っている小学生・中学生、未成年の義務教育課程の子供でも
友達に思いやりある優しい子はたくさんいます。
将来楽しみな子供も沢山いるんですよ。
でもこんな了見の狭い心の動きをする子供が
今の世の中少なくない?ってことがとても悲しい事実だと思いました。
そしてそれをなんだか世相のように取り上げてニュースにするYahooも。
解説が幼稚というか、解説し切れていない。
精神的に未成熟な人は
年齢にかかわらずいらっしゃいますよ。
それはだれだって欠点を持っているから
私だって未熟な点は数知れず。
でも人として基本的なことがら
「人の嫌がることはしない。人が喜ぶことはする。」
もっというならば
「自分がされてイヤだった事は人にもしない。自分がしてもらって嬉しかったことは人にもしてあげる」
これだけは忘れてはいけないって思います。
一人で部屋に閉じこもってる
人との交流がほとんど無い人にはそれがわからないのかもしれない。
実際に自分の心が実感して掴まないとピントこないものなんですよね。
今はそういう実体験から来る実感がない子供が増えてることも見聞きしました。
人前では自分の言葉で上手に喋れなくても
ネットでならいつも以上に雄弁に文字を並べられる人。
それも一つのコミュニケーションの方法かもしれない。
でも人との関わりをきらい
特定のサイトに出入りして
そこで人と関わった気になっていても
それがホントの出会いにはなっていないことに気付いていない。
人の心がどういうものか
きっと一生かけて感じて学んでいくんだと思う。
一人残らずが。
友達なんかいらないと豪語したところで
人間は他人からその存在を認めてもらって初めて存在価値が生きる。
自分を拾い上げてくれるのもまた他人だということ。
一人では生きてはいけない。
ネットだリアルだと区別するのは好きじゃないですが
そのどちらにおいても他人との共存が無ければ自分の存在意義は見出せない。
「読み逃げ」という言葉の中身、これを思った時にぞっとしました。
読み逃げということは、相手が
コメントする余裕があるのにシカトしたと決め付けてるわけでしょ?
見たけどさっさと逃げたと決め付けていますよね?
なんて狭い考え方で決め付けて
悪い方へと持っていくんだろう。
誰も「考えすぎだよー」って肩の力抜かせてくれる友達や家族がいないんでしょうか?
少なくとも相手が余裕がなかったと思いやれる気持ちがあったら
そんな心無い責め方はしないもの。
その言葉には思い込みと決め付けで相手を攻撃する尖った感情が感じられる。
コメントしたい気持ちはあっても言葉がまとまらなかったり
コメントする気力が自分に持てなかったり
コメントだけに関わらず
人との会話でも弾む時と弾まない時がありますよね?
話を聞いても苦手な専門分野でちんぷんかんだった事柄に
「わけわかんなーい」なんていえる間柄だったらいいですよね。
でもネットやメールで文字だけで伝えるとトラブルになることも多い。
信頼関係があるようでない、そこに落とし穴がある。
自分がこのサイトでブログを初めた頃を思い返して見ました。
当時はブログなんて言葉もなかった。
登録者数も少なかったから全員の日記(当時はそう言ってた)を
全部読むこともできた。
1日にアップされるのが100前後だったかな?
その頃って今みたいにコメントしやすい状況になってなくて
あまりコメントがつく日記はなかった。
だからコメントもらうととても嬉しかった。
コメントを通して色んな方々とオフ会で出会ったり
楽しいイベントに参加したり
夫ともここでもコメントのやり取りでお付き合いするきっかけになり
今は結婚して一緒に生活してます(^^ゞはい。
他にも家族ぐるみでお付き合いいただいているお友達も数知れず。
オートビレッジの頃からここでやり取りしている中で
沢山の楽しい広がりを頂いてきました。
ホントに感謝しきれないです。
正直な話、楽しいことだけじゃなかったですよ。
でもお友達巻き込む様なつまらないことここに書いても仕方ないし
マナー以前の問題ですよね。私はそういうの書きません。いや、書けません。
いい年したオトナですから。
人との関わりの中から
自分がどう感じるかどういう性質なのかを感じ取って
自分を生かす接し方を掴み取る。
そういう前向きなところに行き着く前の
試行錯誤の子供達なら仕方ないのかもしれません。
自分のこともわかっていないのに相手を思いやる余裕はないかもしれないです。
これからいろんな出来事を通して
自分の小ささや狭さを気付いて改善していけばいいだけだから。
自分が狭い考え方・感じ方に囚われた時
「そんなことないよ」って優しい言葉を言ってくれる友達のありがたさ。
もちつもたれつで、逆の時には私がそれをしてあげたいと思う。
人を疑って生きる生方や恨んだり責めたりする生き方が根付く前に
「ま、いっか♪」って心を広く立て直せる機会が得られるようにと願います。
寂しいんでしょうね。
だってブログにコメントつけて欲しかったのに付かなかったら
それは寂しいですよー。その気持ちはわかります。
でもだからといって強要したり常識と言い放つのも
どこか心のズレが生じているんですよね。
それに気付いて心の向きを
軌道修正できればいいんですが
せめてそのまま突き進んで欲しくないです。
人は見方になり敵になり。
その敵ばっかり作ってしまっては本末転倒です。
そうですよね?「読み逃げ」なんて言われたらその人から人が離れていきますよね。
和のないところに仕合わせはありえない。
その方々が望んでいるコメントだってもらえるはず無いですよ。
もっと視野を広げて楽しんでブログアップしないと
なんのためにやってるかわからなくなるよね。
便利に楽しく使えばいいコミュニケーションのきっかけになるのに
かえって問題抱え込んで世界を狭くしている。
ネットでのやりとりから発生したトラブルや事件のようにならないとは言い切れない怖さも含み合わせている気がします。
「なんでコメントくれないんだよぉーっ!」っていう
さびしんぼの駄々っ子ちゃんだったらいいけど
(この先の成長があることを期待してという意味で)
そのまま年だけとってくれるなよって思っちゃうよね。
人を責めていてもいいことなんてないから。
要求する前に自分から働きかける。
愛はもらうんじゃなくて自分から与えるものだから。
求める前に与えよって、たしかそんな言葉あったよね?
それってそういうことなんだろうね。
優しさには優しさが返ってくる。
憎しみには憎しみが返ってくる。
原因に見合った結果が付いてくるのは必然。
でもここが大事、相手に見返りを当然のように要求するようでは返っては来ない。
なぜなら「見返りを要求する」=「狭い了見」だから。
当然、相手から返ってくるのも「狭い了見」なんですよ。
いろんな出来事も成長の糧にして欲しい。
すぐには出来なくても、それだけは忘れないで欲しいよね。
寂しい思いをした時に
相手を責めるのではなく
人の心の弱さを知って
だから人に優しくなれたら
その寂しさも報われるってことを。。。