カリーナED 二代目 出てきたのは元年くらいでしたか
猫も杓子も白ばかりだったように覚えています
学生の頃 白いの買って貰った人が居て その人よくデートに出かけていました
若葉マークに黒いアースアンテナ ダッシュボードに煌めく芳香剤
「お 白馬の王子様 今朝もイチゴの馬車出動だ( - -)オレニモスコシアヤカラセテクレヨ~イッヒッヒ」
などと二階からやっかみしたのも懐かしい話
何でこれが好調だったのか重鎮や市井の数寄物の間では長年の謎とされていますね
私に言わせれば「コレ」が三代続いてぺルソナが初代で敗死という方がよほど謎なのですが
いつまでもしつこいですか そうですか
何にせよもう昔話 最近は流石に減ったと思います
この個体は近所に15年以上います おそらく新車ワンオーナー どうか末永く(^人^)
今日は戦国時代のお医者さん 曲直瀬道三の忌日 享年87歳 老衰のようです
京都出身 エリート僧侶を目指して栃木の足利学校に入学
そこで医者に目覚めてしまいお坊さんを辞めて漢方医になって京都に戻ります
どういうつてなのか将軍の診察を行い 一気に名医として有名に お坊さんとのハイブリットなので
「人間ならば誰でも診ますよ( ^ ^)」
と言う事を言い戦国ながら中立を守って誰に対しても診察を行います
一部のカルテが残っているらしくて有名どころだと毛利元就
「完璧高血圧ですね 酒と塩分 それから油モノ控えてくだい( - -)b はあい(+ +;)」
とか 織田信長
「血圧高すぎです カリカリしすぎ とにかく減塩( - -)b ・・・・・・で あるか(-曲-;)」
特に信長の事は下戸なのに高血圧 と言う事で危険視していたようです
食生活の記録からかなりの塩分摂取過多だったのが分かっているので高血圧だったのは確か
しかも医者を来診させるほどの自覚症状があった筈なので四十過ぎの頃の信長はヤバい状態
だったと推測されています
その後豊臣家の専属医になっていますね 息子もそのまま豊臣家の侍医に
息子も淀君のカルテに
「拒食症 ヒステリー 鬱だね 完全」
と書いてのけています
その子孫も京都で医者で続いていますが 何があったのか確か新撰組に斬殺されています
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Posted at
2011/10/23 20:44:39