山形の戦国大名 最上義光の忌日 享年69歳 病死しています
山形県山形市生まれ 伊達政宗はこの人の実甥 超優秀な武将でバラバラだった山形を
まとめて戦国時代の山形の最大勢力になります 和歌が大得意
「死ねくそ甥(メ-皿-) お くそ叔父だ(X"- )」
あとは実甥の伊達政宗と小競り合いしながら戦国時代を過ごしています
関ヶ原合戦時 徳川家康に味方して東軍につき福島の上杉征伐に向かいますが
「愛の武将参上!(愛-皿-)┌┛)@Д@)あれ?家康さんは?」
当の家康が関ヶ原に向かった為に上杉に攻めたてられて軽く死にかけています
あの前田慶次郎が最後にまともに戦った武将と言って良いのかも知れません
救援したのはくそ甥の伊達政宗 花の慶次の最終巻で脇役で出て来ますね
さて 今週話題にするのはこちら
オートザム AZ-ワゴン 初代 出て来たのは平成六年
五家戦がまさかの大敗でてんやわんや カペラが隠居返上で出陣の時ですね
この頃三菱はエメロードがまさかのくそ負けで投げ売りで御公儀に買い叩かれ泣いていた頃
これらを横目で嗤っていた日産はブルーバードがまさかの大敗で乱心気味か2・4なぞつぎ込み
ミドルセダンに於いてはマツダ、三菱と三つ巴の壮絶などん尻争い それをホンダがオデッセイの
車内で横手を打って喜び眺めていた頃です もうセダンは急降下の時期
そんな中出て来た遠州浜松よりの養子縁組がこのAZ-ワゴンになります
元々マツダは軽に関してはシャンテが敗死して以来 ポーターキャブとかって銀魂のエリザベス
みたいな軽で戦っていました が なんでそうなったのかこれが延々二十年 2スト360ccが
三菱のバルカンエンジンにまで積み替え そのバルカンがバルカンⅡになりサイクロンになりと
文字通り手を変え品を変え売り続けます が
「くそう もう無理があるか(-皿-;)」
五家戦が始まりユーノスコスモを売ろうと言うときに初陣が昭和四十五年のクルマが第一線で
現役なんです、などと言う訳には行かない かと言って新型を作ろうにもこの二十年のおとぼけ
が祟って今更新車などは作れない そこで遠州と養子縁組 スクラムと名付けてオートザム
よりなんとか新鋭の出陣に漕ぎ着けたのが平成元年となります そして五家戦の大敗
「お袖に縋りに参りました。゜( TДT)゜。 (-"-;)」
と 言ったかどうかは分かりません が とにかく更に関係強化で当時快進撃だったワゴンRが
オートザム一門に援軍として投入され AZ-ワゴンとして売り出されます
自由をのりこなそう AZ-ワゴン
ターボ追加となっているので一回目のマイナーチェンジ後のカタログですね
今となっては主流とさえなった形状ですが当時は斬新極まりないクルマでした
とかくに野菜の直売所や鮮魚のイメージしかなかった軽1BOXバンが乗用専用で出て来て
女子大生4人乗車で女子会に海の見えるレストラン 夜は夜で駅前あたりでローレルとかに
ナンパかけられている などと言っているのだからマツダも日産も三菱も驚愕の事態だったと
思います 一番泣きたいのはホンダだったでしょうけど これはもうスズキの一人勝ち
どうしようもありません
「ふふふふふ それをウチに迎えれば一発逆転(-皿-;)」
と 言う訳で しばらくはオートザム AZ-ワゴンの話をして行こうかと<(_ _)>
ブログ一覧 |
オートザム | 日記
Posted at
2014/02/26 20:47:18