戦国大名 細川藤考の忌日 享年77歳 老衰のようです
京都府京都市東山区生れ 通称「細川幽斎」 足利将軍家の親戚の生まれながらのセレブ
セレブらしく教養人として有名でその中でも特技は和歌 達人の域だったようです
落ち目の将軍家をどうにか元に戻そうと頑張り 頼ったのが織田信長 将軍がコケた後は
極めつけに優秀 という事でそのまま織田信長の家臣となって京都丹後付近の殿様に 以後は
豊臣 徳川と上手に渡って戦国武者としては畳の上で亡くなった少数派の人です
特技の和歌が本当に凄かったらしく 何千句も残しています 日常会話も和歌でしていたらしく
親子喧嘩も労使交渉も戦争も全部和歌 つきあわされる部下はかなり苦労していたようです
息子が何気なく言ったダジャレがつまらないとして添削した記録も残っているようですね
ある時 隣家が火事になり自宅が延焼しかけた時も塀が燃える様子を見て謳った和歌が
残っています その内容がくだらないオヤジギャグの和歌 それを聞いた火が
「さぶ」
と 火が冷えて消えた なんて笑い話になっているとかいないとか しかもその和歌が
火災除けに効くとしてお札になってしまったり 本人がどこまで狙ったのかは謎
「すりこ木と 火吹き竹とを取り違え 吹くも吹かれず吸うも吸われず」
なんて 訳のわからない句も残っています 秀吉はこれを聞いてゲラゲラ笑っていたようですね
でも教養を活かした面白い人である反面 イヤミも年中言ってたようです 高学歴京都人の典型
やっかみが向こうの活力ですか そうですか
さて 見かけたクルマはこちら
ダイハツYRV 出てきたのは平成十年くらいでしたか 1・3と1・3ターボ
オプションでBBSだのパノラマルーフだのでかなり派手に仕上げる事ができました
車内も結構派手なデザインですね
・・・・・・・・(-"-;)
後はこちらを御覧くだされ もう丁寧さにおいてとてもかないませぬ(- -*ゞ
過給に対する評価が急落していた頃に 安く楽しくを意匠に良く出来たクルマだったのではないかと。
当時花形だった初代デミオなんかとはクラスは同じでも明らかにキャラクターが違っていたのでは
ないかと思いますね(^ ^*) それでもこと普通車となるとダイハツは風当たり厳しいですね
実力勝負ならばデミオの向こうを張れたクルマだったと思うのですが まあお値段の事もあったので
しょうかね 新車が売れずに中古が引っ張りダコだったのが思い出されます パノラマターボなんて
今でもドキッとするような価格ついていますね アクセラセダンより下取りつきそうな(- -;)
いい歳ぶっこいてこういうの欲しくなるんですよね(- -*)
画像の個体は津波ギリギリセーフだったんです 赤のパノラマターボがやられて
いたのを見かけたのが痛々しい思い出 生活圏ではこれが最後の一台
どうか末永く(^人^)
Posted at 2012/10/06 18:06:51 | |
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