コメント欄にチラッと名前の出た服部半蔵を話題にします いいんです するんです
知らない者はいない伝説の忍者 忍者と言えばカワサキ じゃなくて服部半蔵
闇に生き闇に死す 闇を生き場と頑なに信ず
争いの時にこそ身を留める 生まれたが最後 それが忍びの道
「お命 頂戴仕る」
ぐさっ
「・・・・・・うぐっ」
「・・・・・黄泉路を・・・・惑え」
しゅたーん しゅたーん
名前からイメージするのはだいたいこんな感じだと思うでござる ニンニン
半蔵はミドルネーム 本名は服部正成
甚だ遺憾ながらこの人 忍者ではありません 闇に生きていませんし闇に死んでいません
特技は忍術ではなくて槍術 この人 槍使いの武将です
誰もが伊賀の出身だと思っていますが 愛知県の岡崎近辺の生れ パパが伊賀生れなんです
伊賀で就職先が無くて愛知にやってきたんですね そこで生まれたのが半蔵 本人は愛知生れの
愛知育ち パパが忍者だった記録もなく 自身も忍者とは全くの無縁の生活 それがなんで
こうなったか 30歳くらいのある日 上司の徳川家康からこんな話が
「お前 親父が伊賀育ちなんだろ? 伊賀忍者雇うことにしたからお前忍者課の課長になれ」
と 言う訳で忍者課の課長に すると
「忍者軍団の元締めなんだから凄い忍者に違いない」
と言う評判が流れ始めます これが伝説の忍者 服部半蔵の誕生の瞬間です
現場なんてとんでもない 忍者軍団のシフト組んだり 勤務査定したりに終始しています
その後 忍者隊の隊長ではなく 鉄砲隊の隊長として合戦に参加したりしていますね
007シリーズのMみたいなものだと思えばいいのではないでしょうか 忍者ともなれば
あんまり目立っても困る連中の筈なので半蔵がパンダ役になっていたのかも知れません
伝説の忍者 と言うハクがつくだけの話だろうし
伊賀忍者 と言うのは戦国時代に伊賀に確かにいたのですが 本来フリーの契約忍者
金で依頼を受け 山奥から出てきて暗殺だ放火だデマ扇動だとやっていたのですが
「チョロチョロチョロチョロとてめえら!!!(@曲@メ)」
これが織田信長をブチ切れさせる原因に 伊賀は焼き払われてしまい 生き残りの内の
何名かが徳川家に就職 正規雇用忍者として服部半蔵の部署に配置されたと言う次第
ついでに言うと この時 徳川と敵対する豊臣に就職したのが甲賀忍者と言われる人達です
ハットリ君とケムマキの確執の始まりはここ 別に仲が悪いからわざわざ別れた訳ではないようで
「そっか もうあっちは募集締切りか」
ぐらいの話のようです フリー時代は特に両者が争ったりはしてなかったみたいですね
今 忍者と言えばなんと言っても北米ですね 忍者と言うと日本では薄気味悪いイメージでしたが
北米はこの暗いイメージを完全に払拭 日本はもう熱心さでは完全に負けてます
たまに陶酔したニンジャマニアが白昼堂々交差点で抜刀して駆けつけたクラウンビクトリアに
囲まれてゴム弾撃ち込まれた上にタコ殴りにされたりしてる映像が流れたりしていますね(^ ^;)
アメリカンニンジャVSアメリカンポリス
これは完全にアメリカによる忍者文化の実効支配と言って良いかと思います
しかし現状この温度差ではやむを得ない 三重の伊賀忍者村負けるなp(-皿- )
Posted at 2012/10/10 20:16:17 | |
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