三重の戦国大名 北畠具教の忌日 享年49歳 殺害されています
三重県松阪出身 この時代の三重の中心は松阪で津はまだ原っぱ
北畠家は元から三重の殿様で戦国時代もそのまま殿様 三重最大勢力だったのです
が
「人間50年(○-皿-)○)>Д<)ノ」
今川義元を倒して岐阜も手にしてノリノリの織田信長の侵攻を受けて降伏し信長の息子を
養子にして和平を図りますが間もなく信長に示唆された自分の部下達に斬殺されています
これで北畠家と三重は織田信長が実行支配する事に
斬殺されていますが この人 剣術の達人だった為に最後に一大チャンバラをやったとされ
120人を1人で斬ったとも言われています
さて
話題がないのでまた他人様の日記にのっかります
VWサンタナですね 出て来たのは昭和59年 実は日本製
お友達の方が丁寧に説明されておられますのでこちらはお気楽に閑話休題
みんカラ的には日産で売られていた話に行きがちですが 某はヤナセ取扱いのイメージ大、
と言うか当時は小学生な事もありヤナセユーゲントでもあった事から日産製だとも日産でも
売られているとも全く知りませんでした アウトバーンなんてグレードありましたね~
ヤナセでどんな風に売られていたかと言いますと おぼろな思い出と父との雑談ぐらいしか
ありませんので大した話はないのですが 元サービスの父の迂遠な表現を借りれば
「鉄屑 日産にやらせろばかやろー こっちだってロクなのねえんだから」
日産では中の上くらいの立ち位置だったようですがヤナセではこれが事実上ドンケツ
どうかするとネロより安い 一瞬手を出してこれまたこっぴどい目にあった初代ポロと同列。
そして問題児揃いのヤナセでも旗頭状態だったようですね 寄ると触るとぶっ壊れると。
買い手も社員も日産製 と言う言葉に裏切られたと言う向きが強かったようですね
そして序盤の出来の悪さが祟ってヤナセでも安いにもかかわらず殆ど台数出なかったようです
「新車は近場の横浜だの東京だのでさばいて済ませてたんじゃねえのかな ゴルフ買うって普通」
ヤナセではネロ同様 割り当てで来たのを都市圏で社用だの代車だの特選だのでやり過ごして
いたと思われます そしてそれが早い段階でぶっ壊れておしまいと 特に後期はヤナセ栃木
では珍品扱い と言うか・・・・・・・
こちらを御覧ください
珍品 ヤナセ栓抜き 見えづらいのでちょっと拡大
なんとも懐かしい面子ですがここにサンタナの文字はないと
いろいろ年代推定もできるので確かな事は分かりませんがポロの文字があるなら
サンタナの文字があっても良い筈
殆ど記憶で話しているので茶飲み話と聞いていただければ(-¥-;)
マツダ地獄なんて己の心がけ次第がまだまだ大きい 本当の地獄ってこういうのを言うのでは
ないのかなと思うのですが如何なものでしょう
Posted at 2015/12/15 20:42:01 | |
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