織田信長の弟 織田長益の忌日 享年76歳 老衰のようです
通称「有楽」 信長の弟なのですが27歳までどこでなにやってたのか全然分かっていません
たぶん
「お茶ばっかり飲んでいましたv(- - )」
武将と言うよりは茶人と言った方が遥かに近い人だったので記録に出てこないようです
普段は兄の信長の息子の信忠と行動を共にしていたらしく 本能寺の変の際は信忠と共に
二条城に居たようですが信忠と別れて京都からの脱出に成功 ひんしゅくを買っています
「だって武将らしい事なんにもしてきてないし(+ +;)喉が渇いた」
その後 豊臣家に再就職して大坂城に入り お茶を淹れていたようですが徳川と豊臣が
決裂して開戦が迫ると開戦派の長男を置いて大坂城を退去
「だから茶人なんだってば(+ +;)信長の弟だってだけ」
同時に京都に隠居してお茶三昧 有楽流と言う茶道を確立しています 今もあるみたいですね
長らく東京の有楽町の語源と言われていたそうですが有楽町が出来たのは明治なのでなんの
関係もありません
「有楽町で逢いましょう♪(- - )だいたい私 関東に行った事ないです それより熱いお茶いかが?」
さて
ここ奥州も今朝は雪景色 大した事無かったのは何より
そのかみ 母者が除雪で普通のシャベルでクルマの雪をガリガリおとして父に手討ちに
なりかけた事を思い出しつつ
「スバルは喜び庭駆け回り♪(Θ¥Θ )マツダは炬燵で♪ザクザク」
スペシャルステージにしか見えていないんだろうなと思われる555の雄叫びを耳にしつつ
サラサラの内にせっせと雪かき 市民の鑑
嘘八百は昨日のワックスのおかげが温めたらたちまちボタボタ雪が落ちて行き
今は陽も出て雪の反射もあってか得も言われぬ言われぬ幽玄な艶
いいの 幽玄なの 広島の真珠はどっかと違って奥ゆかしいから画像に出にくいのです
あんなラメみたいな田舎塗装と違うのです(o¥o*)
昔 駐車場を雪かきしてたらクルマを降りてきた若い女性に叱られた事がありました
「そこばかりやらないで全体をちゃんとやって貰いたいんですけど」
殆ど同時にクルマを降りてきた旦那らしい男性に腕を強く掴まれて消えていきました
管理会社の人間とでも間違えたんでしょうかね 旦那にしてみれば二重三重に恥かいた
事になります すぐに二人で戻って来てジュースたくさんくれました(-¥- )
まあ職場から借りてきたゴム長にドカジャンに作業服で濡れるのいやで白ヘルメットだったから
完全武装過ぎて作業員にしか見えなかったのでしょうか
いや良い汗かきました(+¥+;)
熱い風呂を入れて雪で埋めるのも風流かも知れない やらないけど
Posted at 2016/01/24 12:21:46 | |
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