徳川家康の六男 松平忠輝の忌日 享年92歳 老衰のようです
東京都出身 家康50歳くらいの時の子供
なのですが
「・・・・・・・( -"-)(-"- )」
性格が激しすぎると言う事で父子仲大分悪かったようです それでも伊達政宗の長女と
結婚し 新潟を任されます
が
「なんで俺だけ新潟なんだ!名古屋とか大坂が良い!(‵Д´メ)(X - )もっと言え もっと」
そこでも粗暴な態度が収まらず 家康の信頼を失い 家康の死と同時に身柄拘束
この時忠輝24歳 伊達家から来た奥さんとは強制離婚させられ 以後68年を
各地を拘束されたまま転々と過ごす事になってしまいます 死後も罪は許されず
徳川家から許されたのは昭和62年の事
分かれた奥さん いろは姫は仙台に帰還したのですが
「旦那煽ってたろくそ親父(メ-"-)X +;)いろはと仙台で暮らせてパパ嬉しいよ」
仙台城の敷地に屋敷を建てて政宗とは別居 生涯再婚せずに仙台で過ごしています
「長男も長女も問題ばかり起こしやがる(X皿-;)誰に似たんだ一体」
さて
嘘八百 やはり延長戦 全然終ると思っていませんでしたがサービスにしてみれば
ダンパー二本の交換で二日も三日もリフト占領する事になるのだから終わらせたいところで
しょうがやはりダメだったようです 今頃MS-9と並んで我が物顔でリフト塞いでいる筈
サービスの怨嗟が聞こえてくるような気がしないでもないですが後に響かないといいな(-¥-;)
四本同時交換に難色を示したサービスマンはこうなるの分かっていたんでしょうね
部販が消えて一々取り寄せの今はどうかすれば一週間丸々になるし
オールドメルセデスでも入庫させたかのような物言いですね(-¥-;)
ジャンボカペラなんて自虐は何より当人が信じたがるところなのかも知れません
これが帰ってきたらいよいよブレーキパットの交換の算段をせねばなりません
残暑厳しい折ですが お彼岸前に決めたいところ
御両所 できましたらまた・・・・・<(o¥o)>美味しい地獄炒飯など御馳走しますゆえ何卒
Posted at 2016/08/24 19:01:00 | |
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