豊臣秀吉のお母さん 木下なかの忌日 享年77歳 病死か老衰のようです
たぶん愛知か岐阜の出身で鍛冶屋さんの娘らしいです 旧姓は関さんとも 死別のバツイチ
21歳の時 最初の夫との間の子として秀吉を産んでいます 秀吉が武士になってからは
死ぬまで秀吉と同居 ただ本能寺の変の際 滋賀で混乱の中明智軍に殺されかけたようです
秀吉が出世するに伴い 自身も連動でセレブ化していき 秀吉が関白になった時には従一位
と言う平清盛と同じ官位にまで昇りつめてしまいます 女性では日本史上でMAX
が
「野菜 作ったんだけどいらない?(^ ^ )大根にごぼう お芋もあるよ」
本人はそういうのはどうでも良かったみたいで家庭菜園し続けて野菜を回りに配っていたり
したようですね この辺は後の大奥の権力闘争などとはかけ離れています 信長も家康も
お母さんが格別出てきて何か騒ぐと言う事は無かったようですね
真田丸でふかした里芋配っていたように覚えています あの時で既に従一位の筈
名誉称号みたいなものでしょうがそれでも目がくらむほど偉いんです 後の東郷平八郎より
偉い人扱いです
それにしても昨夜の直江状の朗読がもう良すぎてクラクラしちゃう(T¥T )
アルバム出していいんじゃないかな エンケンとデュオとか毘沙門天堂の真言とか唱えて
貰ったりいろいろ入れてさ あの役の人これでしばらく食っていけるぞ 舞台で巡業余裕ですよ
当てたよな~
さて
優柔不断な野分がついに決めたと思えばなんと陸奥への一番槍を決めたのだから困ったもの
「ワックスかけたて ワイパーも替えたて タイヤの溝もガラス撥水も完璧p(‵¥´ )」
などと出来得る限りの風雨対策をし続けてきましたがこれはどうやら分が悪いようですね
明日はおとなしくしていよう(-¥-;)飛来物でも当たったら泣くに泣けない
ところで8月のベストショットを出せとか
ここのところ写真要求されてばかりでネタがありません(+¥+;)
でも出せと言うので画像由来の話題をひとつ
皆様にお伺いしたいのですが
あいつ・・・・車高、高くね?
どうすんのお客さん 処す?処す?( ^◇^)(;-¥-)
古来 北関東の日産家中の古武士の間では
「指三本は百姓」
などと言うことわざがあったような
Posted at 2016/08/29 19:21:22 | |
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