山口の戦国武将 陶晴賢の忌日 享年35歳 自刃しています
山口県は代々大内家に治められていて陶家はそこの親戚で家臣をやっていたのです
が
「今の大内家はだらしない!俺がやる!p(‵皿´ )]
長いので端折りますが大内家と陶家が不仲になった上に人事を巡ってついにクーデター
これが成功して山口は陶晴賢をリーダーとするネオ大内家が発足
「よし!まずはネオ大内に同調しない広島の毛利から叩き潰す!p(-曲- )」
毛利家の6倍の兵力を投入して広島に侵攻
したのですが
「くそ 嵐か・・・・もう暗いし厳島に上陸してやり過ごすか・・・(-皿-;)」
大軍を厳島に上陸させてしまい ひしめきあっている所に毛利軍が奇襲 大逆転負けを
喫してしまい 逃走中に逃げきれなくなって自刃してしまっています ネオ大内発足から
僅か3年後 リーダーを失ったネオ大内は空中分解して山口は毛利領へ
以降山口は明治に入るまで350年以上毛利領と言う事になっていきます
優秀で勇敢で下っ端に優しく幹部に厳しい反面 その幹部に対しての態度が日常かなり
悪い人だったみたいですね 意見の合わない幹部の殺害とか平気でやっていたようです
陣内孝則って時代劇はだいたい悪役
さて
冬タイヤ ぼちぼちTVの宣伝も本格化し こちらの優柔不断も本格化
某の記憶力が弱いのか 激安系は見る度に訳の分からないタイヤブランドが増えているような
そんな中
「あ~~・・・・なあんか 大昔 うっすら見たような記憶が・・・・(-¥-;)」
冬タイヤではないのですが
まあ諸将方は知ってるのかもですけど
これ20年くらい前にどうでも良さそうなJT150ジェミニに装着されていたのを思い出します
その時に
「なんて読むんだこれ・・・(・¥・;)じす・・・なんだろう??」
読めなくてそれを覚えております 確かメイドインフランスだった事も。
ただそれきり目にする事もなく
それがついに判明 ギスラベッドと言うのですねこれ スウェーデンのタイヤメーカーだそうです
どうもコンチネンタル傘下らしくてそれでメイドインフランスもなんとなく解決
北欧と言えばその昔 ノキアンなんてタイヤメーカーがあったような記憶ですが全く見ないですね
エンスーどももイタリアやフランスやドイツは良くてスウェーデンはダメとは言い得まい
ましてボルボだサーブだ珍重して頷き合ってマツダバカにしてたんだし これは候補に
入れようとしたのですが
無念 冬用の取り扱いがどこにもない(-¥- )イヤージツニザンネン
ついでに言うと日東も二本しかない なんだそれ(-¥-;)
うっすらと胡桃の薫りが漂いつつあるような
Posted at 2016/10/16 16:14:01 | |
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