戦国武将 大谷義継の忌日 年齢不詳ですが30は過ぎていたようです 敗死しています
名前が出てくるのが秀吉が出世したあたりからでたぶん滋賀の出身 石田三成と同時期
くらいに採用されたようですね 以後秀吉の親衛隊として各地を転戦 優秀だと言う事で
福井の敦賀を任されています 以後は豊臣家の上級官僚として活躍
していたのですが
「・・・・・・・具合悪い(+ +;)」
ハンセン病と言われる病気を発症してジリジリ悪化していったようです
やがて石田三成に頼み込まれて関ヶ原の合戦に西軍の参謀として渋々参加
一旦参加と決まると渋々とは思えないくらい準備に邁進 西軍の段取りつけたの殆どこの人、
その際に石田三成にだいぶ説教したと見られ 「お前は横柄だ!態度が悪い」と直言したと
されています
「小早川秀秋は裏切るねアレ バカな決断させないよう警備をつけておこう( - -)」
ここまでは予想していたのですがそのつけた警備隊まで裏切ると予想がつかず
小早川軍に自隊を襲われ 激戦になりますが敗退 自刃しています
真田丸では泣かせてくれましたが また泣かせてくれるかも知れません
まだ出て来てはいませんが息子が幸村と同時期に大坂城に入城しております
なんのまだまだp(T T )
さて
早いもので明日にはタイヤが来るとか(-¥-;)よく見たら羽前からと言う近さ
当然なんの受け入れ準備もなされておりません しばらくは同居と相成りまする
「おお それは本懐であろう 良かったな」
などと仰せにならず 少々早めの組み換え作業依頼の目星をつけねばなりません
「庭先とタイヤバールなら貸してやらぬものでもない」
などと仰せにならず もし城下で良き店の伝手などございましたら是非(o¥o;三;o¥o)
まず蔵から旧タイヤホイールを引き出してこなければダメなのか
で 洗って その後に交換依頼と まだ十月なのに(-¥-;)
どこ置こう
Posted at 2016/10/21 19:45:11 | |
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