北海道の戦国大名 松前慶広の忌日 享年69歳 病死か老衰のようです
北海道は松前出身 旧姓は蠣崎さん いたんですよ北海道にも戦国大名が
この時代の北海道は秋田の飛び地のような扱い 札幌も函館もまだまだ人外境
秋田の管理下と言う事で秋田安東家に従い青森にちょっかい出したり身内や先住民相手に
毒矢が飛んで来る戦いの日々 北の零年なんて映画は殺し合いが無いだけ全然マシと言う
凄まじい世界 冬なんてどうしていたのかなと思ってしまいます
松前慶広は本能寺の変のあった年 擦った揉んだの末に24歳で松前家当主になっています
その後 豊臣秀吉の東北進出にともなって進んで傘下入り 傘下入りすると
「北海道?青森の向こうがあるの?(;-"-) そうなんですよ(^ ^ )実はですね・・・・」
秀吉に陳情して秋田の飛び地ではなく 北海道として独立を達成 慶広が北海道全土を
任されたため 日本最大の領有面積を持つ大名が正式に誕生 徳川も前田も伊達も毛利も
広さだけなら目ではありません 秀吉の死後は順当に徳川に鞍替えして引き続き北海道を
任され 明治まで続く事になります
真田丸に出て来る事は絶望的でしょうが大坂夏の陣に徳川方で参加しています
一番遠くから来た大名と言う事になるのでしょう
私は札幌より北に行った事が無いので いつか行ってみたいのですが
歴史好きとしてはまずは松前p(o¥o )函館札幌の距離を舐めていたので悲惨な行程でした
さて
話題がないので
本日 先のフレアタイヤを預けました 代わりに
じゃーん って事もないですけど こちらが冬タイヤならぬ古タイヤ
東洋屋のガリットG5 氷室殿流石の御慧眼
震災前の六年落ち 中国漁船と海保がどつきあいして大問題になっていた頃ですね
あとははやぶさが彗星から帰ってきたりとか お友達の中でまだ免許取得に至っていない
人もいるのかも知れません 某はアクセラで車内本革に入れ替えたりとか進歩のない事を
やっております いや過去の話なんですけどね
プラットフォームはギリギリ出ていないくらいですが大分硬化していますね 交換が順当
と言うか去年はこれで高速乗っていたのか(-¥-;)恐ろしい事やっているよ
いや これは失礼な物言い 東洋屋 全然問題ないですね 奥州で六年大過なく来たの
だからいよいよもって優秀な冬タイヤと言うのが至当でござった
それにしても
あまりブランドで右往左往していると 北辺の女子達に嗤われますな(-¥-;)いやはや
Posted at 2016/11/20 16:39:31 | |
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