水戸藩二代藩主 徳川光圀の忌日 享年73歳 病死しています
通称「水戸黄門」 徳川家康の孫にあたります 茨城県水戸出身
独身主義のお父さんのメイドへのおて付きで生まれた人で同じような兄もいたのですが
4歳の時に後任に決定 昨日話題にしたリストラされた最上家の一族の山野辺家とつるんで
バカばかりやっていたようです 18歳くらいで暴行殺人までやったところで
「・・・・歴史っておもしれーな(- -*)人殺してる場合じゃねえな」
中国史の本を読んで学問に目覚め真人間になったとなっています でも独身だけどネグレクト
25歳の時に水戸藩主に就任すると
「学問だよ 文化事業だよ 日本は歴史を全然大切にしてこなかったp(‵ ´ )」
歴史資料の収集や海外品の輸入 北海道探検 中国史の勉強や寺社改革などに精力的…
と言うか公費の大半注ぎ込んで活動を続けます 尾張や紀州に比べて水戸徳川は独自路線、
と言うか発足したばかりの水戸であさっての方向を見ていたと言われても仕方が無い態度で
学問に傾倒し続け62歳で藩主を辞めると助さん格さんを引き連れて栃木の那須の古墳調査
などを行い64歳の時に東京へ赴き そこで古くからの部下を殺害 事情聴取食らっています
水戸黄門として人気が出たのは記憶がすっかりぼやけた二百年後の幕末の事 現役当時は
厄介な学者かぶれ扱いと言うのが実態のようです
それでも豊臣時代にリストラされて東京でアパート暮らしだった宇都宮家の子孫を拾って
水戸藩家老にまで取り立てたのはこの頃の水戸徳川家だったりします
それと
「水戸黄門?なんで俺はドラマにならねえんだよ(X皿´ )仙台黄門もやれよ 流行るぞ」
伊達政宗のまたの名は仙台黄門 名乗った事殆ど無いみたいですけど
さて 本日も底冷えする中の放談を
或いはそろそろ気づいている人もいるかも知れませんが実は某はマツダ党なのです
たいがいのマツダ車はニコニコと自分で乗り、または周囲にお薦めできるくらいに思っております
そんな中
「・・・・・こ・・・これは・・・・(o¥o;)」
久々に歯応えのあるマツダ車を
トリビュート 中期のトップグレードですね しかも更に本革版のLパッケージ 来ました1・5t越え
ミレーニアをも凌駕する気合のV6、3・0 後のCX-7よりエンジンでかくしかもフォードエンジン
車体で300万超えたんじゃなかったかな あまつさえあのマツダアンフィニ期にこれを新車で
買った人は剛の者と言って良いでしょう この年はもうミレーニアもやめようの秋霜の時期です
トリビュート自体少ないしこれもう探しても出てこない 普通マツダエンジンの4気筒なのですが
それだって乗り潰されて海を渡っているでしょうし
と言ってもこれも考え方でUSホンダに高いお金払うならこれか、あるいはもう一覚悟して
初代エスケープでひと弄りして乗るのも安くて早くて良いのかも知れません 特にエスケープ
はトリビュートがコケてくれたおかげで日本フォードに見え辛くて良いかも知れません
どうせイベントの類行ったってホンダだらけなんだから面白いと思います
さて ここでマツダクイズ~
このトリビュート 何の後継車でしょうか?d(o¥o)b
アテンザやアクセラと販売重なっていたって覚えていましたか?
宣伝に影響されずに自分の目を持つと言うのは並大抵の事ではないのです
Posted at 2017/01/14 17:12:01 | |
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