織田信長のお兄さん 織田信広の忌日 年齢不詳ですが40歳は過ぎていて戦死しています
兄は兄なのですがお母さんの身分が低くて信長が生まれると微妙な人物になってしまい
その上それが理由か分かりませんが対今川義元への最前線へ赴任し今川と戦い捕虜に
なってしまい今川家より捕虜交換の案が出た際に信長が渋ったとも その後も待遇に問題
あったようで岐阜の斎藤家と連動して信長に叛乱を起こしていますが敗退し命は助けられますが
これで完全に序列がついてしまい信長の幹部家臣となり転戦 信長が勢力を拡大した後は
京都で総務部長のような事をしていたようです
が
有名な一向一揆の鎮圧に三重へ向かいそこで逃走しようとする一揆勢との戦いで戦死しています
信長の根切りの指示を受けて深追いして反撃くらってしまったようですね
マイナーな武将ですが花の慶次の後に連載された影武者徳川家康の中でこの戦いを描いて
2コマくらい出てきていますね
「ちなみに弟の信長が若い時の俺との捕虜交換で出し渋ったと言われているのがかの有名な
徳川家康よ(- - )まあ家康ファンが尾ひれつけた・・・と思いたいね 俺としては」
さて
本来ならば今夜あたりメーターで夜襲をかける予定でしたが備後中納言様の教えに従い
考えれば考える程
「く・・・・(-¥-;)」
己の立案が隙だらけだったと唸ってしまい夜襲はとりやめ
ドライブレコーダーも線探しで暫くは話題にしようもなく
なので話題がないのでメーター以外の今後の予定を
共食いもそこそこ進んでおりまして残りは上部のラバーストリップのみとなりました
これを涼しくなった今 近日電光石火で決める予定でおりますp(‵¥´ )忘れている筈もなく。
今にして思えば小骨だらけのメーターに手出しする前に攻略してしまえば良かったのですが
未熟でございました(o¥o;)
あとは暮れにバッテリーどうしようかなと言ったところ 年明け車検でもたもたしてると
「バッテリー替えたからp(-◇- )あぁ!?そこまで分かっててなんで放ってんだよ 毎度あり!!」
と なりそうなので警戒しております 実は隠密号の純正バッテリーがデカいのついてて何故か
嘘八百サイズ まあたぶんディーラーがテキトーな事言って在庫掴ませたのでしょうけど なので
これを移植して隠密号になんか目新しいのつける案もあるのですがまだあまだ本気出して考えて
いないと言った具合です
今年は消化試合の筈が最後の最後まで 来年は年明けから車検のロケットスタート
泰平の世は来るのだろうか
Posted at 2017/10/13 20:45:00 | |
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