山形の戦国大名 伊達輝宗の忌日 享年41歳 殺害されています
伊達政宗のパパ 山形県米沢出身 二十歳で当主になると揉めていた山形南部から
宮城南部にかけての内紛を収めて織田信長と組んで謙信死後の新潟の上杉家と福島県の
海沿いの相馬家に向かって侵攻
し始めたのですが
「・・・・・なんか 息子の政宗の方が人気あるんじゃね?(- -;)」
政宗のカリスマ性を見て40歳の若さで当主を退任して隠居してしまいます
その後任の政宗が直後に伊達家を裏切った福島の二本松家に侵攻した際に
「やりすぎは良くないよ( ^ ^)b(XД´メ)何言ってんだオヤジ!皆殺ししかないって!」
勝てないと見た二本松家が和平の仲介を輝宗に頼みに米沢を訪問 それでも強硬派の
政宗が和平を蹴ると二本松家は輝宗を拉致して福島への逃走を図りますがこれに失敗、
政宗に追いつかれて乱戦になり その際に二本松家の当主ともども混乱の中で殺害されています
「だから皆殺ししかないって言ったのに!(X皿T )ぶっ殺す!!!」
ブチ切れた政宗は福島の二本松へ侵攻 二本松での虐殺騒ぎの発端になっていきます
これを受けて福島の他の武将達は一致団結して対伊達政宗連合状態になり大きな戦いへと
つながって行ってしまいます
「なんでああ血の気が多いかね(+ +;)まあ俺の引退が早すぎて政宗に過度の責任感を
与えていたんじゃねえかとか言われてるけどさ 息子は二本松家が来た時に対話と見せかけて
できもしねー和平案を出して向こうの暴発を狙ったらしいんだよな どう暴発するかまで考えろ
よなあ・・・・まあ自宅に招いて油断してた俺も悪いんだけどな」
さて
その息子 伊達政宗が開府の仙台の御当地ナンバーの図案が決まりました
甲
乙
丙
この三案で投票にて決まるとなり
まさかの丙案に決定(-"- )だから投票だけはしろと先の衆院選から学べっつの
正直言えば甲案が通ると思っておりました 乙は流石に戦国色が出過ぎだし
カラフルな五色乱星で丁度いいかなと それが丙だとは。
「まあ他の二案じゃ仙台ナンバーと言うより伊達ナンバーかもな(´¥‵;)いやだがしかし・・・」
まあ七夕の始まりは乞巧奠と呼ばれて
平安時代の貴族 冷泉家がやり始めたと思えば十二単御紋との雅な組み合わせも悪くはないか
う~む
Posted at 2017/11/29 19:38:43 | |
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