大阪の戦国大名 三好義継の忌日 享年25歳 敗死しています
大阪 河内地方の出身 聖徳太子と同郷だったような 戦国時代真っ只中の人
三好家は本拠地大阪の他に京都、奈良 香川、淡路 それに徳島に強い影響力を持つ大手で
落ち目の室町幕府を実効支配し近畿で勢力を持っています その三好家を15歳で継ぐと
「将軍家がなんじゃぁ! 死にさらせボケカスゥ!!p(‵Д´メ)」
その翌年に支配していた室町幕府に向かって侵攻 剣聖将軍と言われた13代の足利義輝を
殺害 16歳で血気盛んだった事と義輝が剣聖などと呼ばれて幕府機能回復に本腰入れた事を
危険視した事が原因と見られています 戦後はテキトーに用意した14代を入れてのらりくらり
する筈が人事を巡って三好がバラけてしまい内乱に突入 奈良の大仏を燃やしてしまうほど
争いまくり弱体化 織田信長の近畿侵攻を許す事になってしまい織田に降伏 大阪の一部を
任されますが後に幕府が企てた反織田連合に加わり大阪の自城で軍事行動に出て抗戦しますが
敗退し自刃しています これで大勢力を誇った三好家は滅亡と言う事に
「将軍殺しに大仏燃やし 河内のヤンチャ坊主で有名人よ(^皿^ ) ところで俺のコックが俺の
死後信長の料理人に再就職したんだよ 清須の田舎モンの信長に薄味出して斬首されかけ
濃い味に出し直したって有名な逸話 俺が特別薄味好きだったって線もあるけど」
さて
弄り納めも終わり格別話題もないのでクルマ以外の話を
数日前の事ではあるのですが
「ふうん 納豆って自家製で出来るのかヘ( o¥o)ノよし試してみよう」
関東では知勇兼備の武将として知られた源氏の八幡太郎義家が考案したとも伝えられる納豆
某も歴史好きとして
「君達も納豆をたくさん食べて八幡太郎のように強い子になろう!m9( o¥o)」
健康食品と同時に戦隊ヒーローソーセージを食べるような気持でいつも食べているのですが
「買うな!作れ!(X曲´メ)納豆も仙台産をガンガンやれ!仙台納豆で売り込むんだよ」
奥州のスター 伊達政宗の方針と重なりついに自作を決意 勿論遊びの範囲です
蝦夷は帯広製の上等の大豆を購入すると
一晩水につけて
鍋でぐつぐつ
冷めないうちにスーパーの三パックの納豆を湯に浸してぐしゃぐしゃにしたのを混ぜ込んで
炊飯器の保温で開けたまま丸一日
震災で棚からころげおちて重しがないと蓋が閉じなくなった古い炊飯器が眠っていたのですが
今回ついに再利用の方途を思いつきました
「思えば人生初の菌の培養でもあるのか(・¥・ )おお なんか納豆の香りがしてきたね」
おそるおそる手拭いをどけてみると
勿論売ってるやつにはまるで敵いませんが何だと言われれば納豆以外の何物でもないものが
完成 ただ糸引きがかなり弱いです タネになった納豆の量が足りないのかも
作ってみて思ったのですが
伝説では八幡太郎こと源義家が最初に食べた勇者ともされていますけどもしそれが真実だと
して 勝手な想像としては
「これくらいならギリ行けるかな(-"-;)この前もこんな感じになったんだよな」
初っ端から高度に完成した納豆ではなくこんな調子でだんだんハードな納豆に移行していった
のではないかなと 源義家とは言え初っ端からSAで売ってるようなガチ藁納豆では流石に(笑)
大豆って食料にも馬の餌にも保存食にも加工にも今とは比較にならないムチャクチャな貴重品で
そう簡単に捨てるなんて絶対できない筈だし 積載した馬の体温で納豆になったとも言われて
いるのでそれが関東の野ッぱらで命がけの移動中の事だとすればなおの事だったのではない
かなと 馬の背で偶然だとすればそんな完成度高くないと思うのですよ たぶん、勝手な想像
ですけど
ちなみに納豆大好き日本一は福島 三パック百円で計算するとだいだい二日に一回は
納豆食べてる計算みたいです ビリは紀伊 十日に一回食べるか食べないかくらい
ただこれ面白くて江戸の場合納豆の消費量は全国十七位なのですが欠かせない相棒の筈の
米の消費量が江戸はビリなんです 薩摩もそんな感じ(o¥o )納豆をどう食べているのか素朴な
疑問です 食べる時はドバッとかけているのでしょうかね