2018年08月01日
熊本のスーパースター加藤清正の跡取り息子 加藤忠広の忌日 享年53歳 病死のようです
三男でたぶん熊本市出身 関ヶ原の直後くらいに生まれています 三男ですが長兄次兄と
相次いで亡くなりそのまま父親の清正まで亡くなり11歳で熊本藩主に
なったのですが
11歳と言う事で部下達が派閥争いを始めてしまい加藤家は御家騒動に突入 しかも
「はっきり言おう 俺はオヤジみたいな人間ではないヘ( - -)ノ熊本なんて知らないから」
戦国を知らない世代な事や年齢を差し引いても性格にかなり問題あった人らしくて周囲の
評判は最悪 30歳くらいの時にクーデターごっこの嫌疑がかかりついに人物不適格として
幕府からリストラ食らい加藤家は大名としては消えてしまいます 広自身は身柄を山形の鶴岡に
送致されますが
「おかげで和歌や書に没頭できるφ(- - )山形サイコー」
女性をはべらせて花鳥風月で優雅にやっていた事が分かっています 加藤家はそのまま
山形に続いていたみたいですね
「奇行のプリンスってな 有名だったんだぜ(- - )どうせ旧豊臣出は遅かれ早かれリストラだ
熊本54万石なんて続けられる訳ねえじゃん 遊んだ方がマシよ ちなみにオヤジの清正、
遺骨も墓も俺がほじくり返して熊本から山形に持ってったから山形にあるんだぜ」
さて
凄まじくお暑うございます(+皿+;)城下は観測史上1位とかなんとか どうなってるのやら
こう暑いとますます話題も思いつかずまたも放談
角店で時々 大ベテランの乗るC33ローレルのグランドサルーンと言うやつに出会うのです
大変涼やかなもので まあここまで来るとRBだの本革だの5ATだのなんて超越した雰囲気
なんですが
最近 どうした事か何があったのかなかったのか
ホイールカバーが変わったんですよ
「あれ!?(o皿o;)御隠居、純正はどうなされた!?」
あのブルーバードあたりと共用っぽそうな純正カバーだったのがどうした事か
今時のノートあたりのピカピカのカバーに変わっているのです 違和感バリバリ
・ついに経年劣化で割れて代替品
・ホイールごとタイヤを替えた
・家族の使い回した
・そりゃベテランだってたまにはそういう事もするんじゃないのか
まあ色々物語は想定できると思いますが まるでインチアップでもしたかのような
自己主張するカバーがぐるぐる回り走り去って行くのを見送った次第
「四気筒モデル5MTにクラブL内装はいいかもな(o¥o )CAターボ積み替えなんて前例は
あるのだろうか」
Posted at 2018/08/01 21:08:42 | |
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