栃木の戦国大名 宇都宮国綱の忌日 享年40歳 病死したようです
栃木県宇都宮市出身 戦国末期の人 黒田長政と同い年で立花宗茂や伊達政宗の一つ下
「まあそういうスター武将と比べられると辛いんだけどさ(- -;)これでも苦労はしてるのよ」
お父さんが早死にして8歳で宇都宮当主に就任 それでなくても落ち目の宇都宮で8歳の
当主を叛乱のチャンスと見た部下や侵攻のチャンスと見た北条家 先行き不安視した部下
などで栃木は更に大混乱 宇都宮城を維持できず郊外で亡命宇都宮を宣言するくらい本当に
滅亡寸前 それが22歳の時についに豊臣秀吉が関東にやってきて
「従います!なんでもします!(T人T )助けてください!もうダメです」
関東の武家としては茨城の佐竹と共にマッハで豊臣傘下入り 関東平定をちょっぴり手伝い
その功績として引き続き栃木を任され 朝鮮出兵も参加し功績で豊臣姓まで貰った
のですが
30歳の時突如リストラ 所得隠しが建前ですが
「栃木から家康を監視しろっつったのにあのヤロー(‵皿´豊)豊臣と血縁持つのもゴネやがって」
関東にやってきた徳川家康と接近しようとしたが問題視されたと見られています これで
岡山の宇喜多家に身柄を送致されてしまい 22代続いた大名としての宇都宮家はここで滅亡
岡山で再興活動して過ごしたようですがガン無視された上に秀吉が死んでしまい 家康時代に
入ると以前と重要度が全然変わってしまった宇都宮の返還などある筈もなく またそれでも
居候できた宇喜多家が関ヶ原の合戦の敗北で滅亡してしまい東京に引越ししてきてそこで
体調崩して亡くなったようです
それでも
まあ一応平安時代からの名族と言う事で国綱の息子が若き日の水戸の御老公様に拾われて
水戸徳川に再就職 孫の代でついに家康の孫娘と結婚して水戸藩の家老に昇進と地味ながら
徳川家の縁戚となり家老に就任と茨城で返り咲いています
「宇都宮の実力では到底無理ゲーの戦国を奇跡的にクリアできたのにな(+ +;)豊臣と徳川の
板挟みをクリアできなかった 映画のぼうの城でモブ武将として台詞もあるよ たぶんこれが
映像デビューじゃないかな」
さて
今日も話題は無いのですが
かなりクラッと来ております
現行は素晴らし過ぎて車体の外寸も些か素晴らし過ぎるのですよ
初代の黄色スポーツと言う手もあるのですが流石に旧いような気がしないでもない
初代と三代に比べて若干影の薄い二代目には注目し続けているのですが特にセダンの
ドベは様々な意味で美味しいですね とにかく安い 某のようにバカみたいに乗り回して弄り
壊すタイプは無理して現行アクセラ買う必要ないですね どうせ替えるんだから鉄ホイールで
良いし 10年も経てば上級の部品がすすり放題 旧いのは間違いありませんが売り出し
平成四年の化石V6に比べたらお客さん 全然
鷹揚で聞こえた関東マツダ 東北マツダが何を騒ごうがUカー保証してくれるに違いない
でもまたなんか長い道のりになりそうな気がしないでもない(-¥-;)いっそ初代の方が
いいのだろうか
Posted at 2019/01/09 21:19:46 | |
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