長久手の合戦で豊臣軍が徳川軍に敗れて指揮官の池田恒興が49歳で敗死しています
織田信長を育てたベビーシッターの子でそのまま信長の家臣入り 桶狭間を始め
信長の主な戦いには殆ど参加し連戦の人生 その功績で兵庫を任されていて
本能寺の変では後輩の秀吉に早くから合流し岐阜を任されるまでに
なったのですが
「徳川家康恐れるに足らず!やっちまおうぜ秀吉(-皿- )」
秀吉と家康が長久手で戦うに事になった際 奇襲部隊の指揮を執り徳川の重要
拠点の岡崎を目指しますが察知されて奇襲されてしまい大敗 自身も息子と共に
敗死してしまっています
「ここまで来たのに大ドジ踏んだぜ(-"-;)まあ次男が超優秀で家康の娘と結婚したり姫路城建てたりして池田家は不動だったからまあいいけどよ ちなみに俺を討った武士の子孫は作家やってたな 三島由紀夫ってドえらい気合入ったサムライかぶれ知らねえか?」
某の血縁に盾の会の構成員が居たとかとんでもねー憶測が出た事がありましたが
全くそんな事はありません 驚いたぜ(-¥-A)そんなの居たら吹聴して歩く
さて
城下はとんだ花冷え うかうかしてると風邪引きそうな冷たい風
特別話題もないのでまた見かけた物件を話題に
6000キロですって(o¥o*)また涼やかな良いお色 S14にもあったのですが
シルビアにおいては幻の色と言って良いくらい少ない色でしたね
造りも性能ももう今となってはだと思いますが12マイルサニー好きとしては
ほっておけない ちょっとお洒落で手軽なコンパクトセダン
「ふうむ 毎度の近代化改修さえすればまあ(-¥- )マリンブルーメーターを基調にあれやこれや それでもここまで狭いとそれが心配のタネではあるけれど」
やっぱり90年代の御所の面々は某には優しくて魅力的なのが多く映ります(o¥o*)今のセダン界隈は剛健なのが多いですから特になのかも知れませんけど
Posted at 2020/04/10 21:22:03 | |
トラックバック(0) |
その他 | 日記