秀吉の息子 豊臣鶴松が病死しています 享年3歳
秀吉53歳の時の息子でたぶん次男 お母さんは茶々 京都市伏見区生まれ
秀吉にとっては待望の跡取り息子でしたが生まれた時から身体弱くて3歳で
病死してしまっています 日本脳炎ではないかとも
「この年の初めに実弟の秀長を失いさらに千利休を切腹させてもいる(T T豊)大陸出兵は抜き差しならないし ろくな事が続かないよ」
花の慶次ではちょうど琉球編が始まったあたりで
「鶴松が死んだすぐ後に俺様に待望の長男である秀宗が生まれている(X - )ま、こちらも後に騒動にはなるんだけどさ」
さて
城下は曇天 夜はもう二十度を割り込みみちのくらしい様相
ここの所我ながら放談と思えないような話込みぶりなのでより放談
備中、もう備後になるのかな その辺りで見かけた物件なのですが
いろいろ伺いたくなる物件ですね(o¥o;)運送会社の社長のなのかな
広島表の功罪として日ノ本ではオープンカーは魂動して乗らなければならない
イメージが出来上がってしまいこういう鷹揚なのは完全に圏外化したと思います
「まあ元からそんなに需要ないけど( o¥o)σしかしそれを割り引いても物持ちいいね」
特装ではあるのでしょうがオーテックまだ無いだろうしこれまでの四十余年の
物語が知りたくなります
「このプレジデントってシートは本繻子なのか(;-¥-)σ着物の帯でシート作っているようなものか いやいやいやいやうかつに雑巾がけもできねえぞ」
まあ流石に絹ではないでしょうが豊臣秀吉だってこんな席に座っていたかどうか
もしかしたら日本史上最大サイズの本繻子織物かも知れませんね
「豊家は別注ウールとかやってる筈だし本革より高い布製なんて幾らでもできるね(;-¥-)σかつては禁裏に納めていたんだものな すげえ世界だな」
50プレジデント4人乗りって本当ですか?(o¥o三o¥o)大型免許要りそうな図体なのに
Posted at 2020/09/22 14:40:12 | |
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