徳島の戦国武将 細川真之の忌日 享年45歳 敗死したとも殺害されたとも
多分徳島の藍住町出身
「細川家は代々徳島を治める大名家(- - )細川幽斎はただ同姓なだけ 細川は超大手だからうんと遡るとどこかで何かあるかもだけどこの時点では赤の他人」
世が世なら順当に徳島を預かる大名でしたが戦国でがっくり落ち目 お父さんが
ついに部下に殺害され暫く捕らわれていますが徳島を脱出 高知の長宗我部元親
を頼りに徳島奪還に
出たのですが
時代はもう織田信長が近畿を掌握して四国侵攻するかしないかの時機 そして
この徳島を実効支配してた部下達が織田信長と結び対長宗我部戦の準備を完了
したまさにその時に本能寺が炎上
「今がチャンスっすよ長宗我部さん!(゜゜)・・・・ぐあっ」
織田軍が来ないとなって混乱していた徳島の守備部隊に攻撃をしかけて
敗死・・・・・・
「違う 徳島を独り占めしたかった長宗我部が俺を用済みと・・・(-皿- )ホントだってば!」
徳島守備隊に反撃する能力ややる気があったか分からず真相はなんともかんとも
長曾我部元親の線は十分あるとは思います これで徳島細川家は滅亡
「ま その長宗我部も秀吉軍にくそ負けするからね(T T )徳島では最前線だし遅かれ早かれ阿波細川は滅ぶのよ クーデターを抑えられなかった時点で完全に無理ゲー」
さて
本日が最後のドライブ
「思えば本当によく走ってくれたものよヘ( T¥T)ノありがとうな」
宮城南部 角田城下にある道の駅かくだへ
宇宙好きにはJAXAの東北事業所が有名でしょうか 田んぼの中にどどーんと
実物大のロケットが置いてあります
歴史好きとしては
伊達政宗の次女 むう姫推しの街
「嫁ぎ先が角田を治める石川家だったから(- -む)パパに溺愛されていたから嫁ぎ先の石川家より有名になっちゃって」
政宗が
「むうちゃんいなくなってパパさみしい(X T )そのせいか最近具合悪い パパが居なくなっても元気にやるんだぞ」
石川家に嫁いでからこんな感じで内容の無い手紙を書きまくっていてそれが現存して博物館で晒しもの
「なんで残してんだよ超恥ずかしいだろ(X"-;)おかげで母親もむうちゃんも酒飲みで付き合った俺が二日酔いで潰れてたと言う事までバレてんだぞ分かってんのか」
そんな角田城下で
「むふふ むうちゃんの新米しかない(^¥^三^¥^)秋ナスにピーマン 大根に・・・そうだ干し柿用の柿も買おう」
疫病以来すっかり自炊が板についたカマボコなので米やら野菜やら買い出し
その後
市内にある熱日高彦神社へ
天照の孫の瓊瓊杵尊と日本武尊を祀る平安時代中期にはもうあったと思われる
古い神社 いつできたかはもう分からないようですね 御神体が仏像らしいと
言う神仏習合のお手本 明治以降の神仏分断のバカ政策とかどうしていたのかな
と思いますが本殿開けなきゃいいのか?(-¥- )午前中祝詞上げて午後檀家廻り
「今流行りの御朱印、神社と寺で分ける意味はこちらとしては何もないぞ(- -神(- -仏)日本じゃここ千年超仲良くやってんだ 戦国時代でさえ神仏それ自体で戦った事はない 分けても良いけど分けろとはどこの寺社も言ってないからね 底の浅い嘘マナー信じるなよ」
お昼は角田を離れて仙台空港のある岩沼市にある「園」」へ
レトロな喫茶店でカレーが絶品でカレーで有名なお店でカレーを食べようと
するも
「カ、カツ丼ください(;o¥o)b」
土壇場で口が勝手に
見た目も綺麗だし美味しいカツ丼でした 何食べても間違いないですねここ
大変名残惜しいですが これにて嘘八百による休日ドライブはおしまい
青森から京都まで 実に楽しい旅ばかりでございました
Posted at 2020/11/03 16:15:38 | |
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