岡山の戦国大名 小早川秀秋の忌日 享年21歳 病死したとされています
滋賀県長浜生まれ 通称「金吾中納言」 豊臣秀吉の義理の甥になります この歳でバツイチ
11歳まで豊臣秀秋を名乗り 秀吉の跡取り候補だったのですが秀頼が生まれた為
毛利傘下の小早川隆景の養子に入り 小早川家共々大出世
するんですが
「俺が跡取りの筈だったのに・・・( -"-)ブツブツブツブツ」
本人は栄転ながら豊臣から離れた為に不満たらたらだったようです
そして関ヶ原の戦いに突入 秀秋は岡山と言う立地と血筋で西軍についたものの
「ちっ 東西どっちについたってろくな待遇にならねえんじゃねえのかこれ( -"-)ブツブツブツ」
ドラマなんかで大裏切り者として描かれるのがお約束ですが 実際この岡山行きの人事や
その後の豊臣の対応を巡って石田三成とかなり険悪だったと見られており 石田三成から
監視部隊が派遣されているほど 裏切りは殆ど予定通り行われたと見られ 長期化が予想
されていた関ヶ原の合戦が一日で終わる大きな原因になっています この戦功で更に
昇給して岡山55万石にまでになるのですが 直後から小早川家は
「大裏切り者」
と 悪評が立つ事になります 西日本在住で豊臣家ゆかりのくせに、と言う事でしょう
噂を気にした部下同士がトラブル出したり西軍の怨霊が出るだのと問題続出
「お化けとかバカじゃねえのか しっかりしろお前ら・・・・・あれ?(゜Д゜ )なんか身体が・・・」
ガタガタしだしたところに当の秀秋が21歳で急死した為 小早川家は途絶してしまい
祟りだなんだと言われた所に更に徳川家が裏切りを推奨したのを覆うのにあれこれネガキャン
したようですね 死人に口なしで数百年言われ放題になってしまっています 酷いのになると
農民にからんで反撃され股間を蹴られて死んだまで言われていたようです 55万石って
言ったら毛利家より大きい大大名です そんな事ある訳ないのに 肖像画も悪意あるインチキ
だった事が分かっていますね
大分前に放送された戦国自衛隊では珍しくまともな 苦悩する武将として描かれていたので
斬新な感じがしました 誰も覚えてないでしょうけど(^ ^;)
さて
昨夜話題を詰め過ぎて話題がなくなってしまいました
一応冬タイヤ装備の図 もう散々見てるでしょうけど話題ないので(^ ^;)
派手にさび落とししたせいかホイールが明るく見えるような気がしています
パール系だとこちらのホイールの方が似合う気がうっすらしていますが気のせい気のせい
16などと言わず205/60 15くらいで止めておけば馬力的にも無理なく・・・・・いやいや気の
せい気のせい幾らなんでも地味と言う物 はっはっは
サンバイザー話題にするの忘れました
白でホイールもそんな個性的でもないし 春までは差し色に良い・・・・・かな(-"- )
ううむ ユーノスミラーが装着されてから第二回有識者会同を御願いしましょうかね
16インチ洗ってきます どちら様もご機嫌宜しく<(_ _)>
Posted at 2014/12/01 18:51:03 | |
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ユーノス800 | 日記